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ユダの窓 [海外の作家 カーター・ディクスン]

ユダの窓 (創元推理文庫)

ユダの窓 (創元推理文庫)

  • 作者: カーター・ディクスン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2015/07/29
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
被告人のアンズウェルを弁護するためヘンリ・メリヴェール卿は久方ぶりの法廷に立つ。敗色濃厚と目されている上、腕は錆びついているだろうし、お家芸の暴言や尊大な態度が出て顰蹙を買いはしまいかと、傍聴する私は気が気でない、裁判を仕切るボドキン判事も国王側弁護人サー・ウォルターも噂の切れ者。卿は被告人の無実を確信しているようだが、下馬評を覆す秘策があるのか?


この作品は以前にハヤカワ・ミステリ文庫版で読んでいます。
2015年7月に創元推理文庫から新訳版が出たので即購入していましたが、ようやく読みました。
しかしまあ、有名なユダの窓をめぐるトリックを除いて、見事に忘れていますね。
ほぼまっさらな気持ちで、この名作を楽しむことができました。
それにしても、写真のエピソードにはびっくりしてしまいました。こんなものを忘れてしまっているとは!

創元推理文庫の常として、表紙扉部分のあらすじを引用します。
一月四日の夕刻、ジェームズ・アンズウェルは結婚の許しを乞うため恋人メアリの父親エイヴォリー・ヒュームを訪ね、書斎に通された。話の途中で気を失ったアンズウェルが目を覚ましたとき、密室内にいたのは胸に矢を突き立てられて事切れたヒュームと自分だけだった??。殺人の被疑者となったアンズウェルは中央刑事裁判所で裁かれることとなり、ヘンリ・メリヴェール卿が弁護に当たる。被告人の立場は圧倒的に不利、十数年ぶりの法廷に立つH・M卿に勝算はあるのか。法廷ものとして謎解きとして、間然するところのない本格ミステリの絶品。

こっちのほうが断然わかりやすい!

「ユダの窓」ですが、本来は監獄の「独房のドアに付いている四角い覗き窓のこと」(332ページ)と説明がありますが、「ユダの窓」トリックがあまりに強烈なので、まったく忘れていました。
実は95ページに「ジム・アンズウェルが刑務所で何よりいやなのはユダの窓なんですって」と説明なしに出てくるんですね。ここでひっかかって調べるべきだったか...でも、インターネットで調べようとしても、このカーの作品ばかり出てきちゃうんですよね...
「あの部屋が普通の部屋と違っているわけではない。家に帰って見てみるんじゃな。ユダの窓はお前さんの部屋にもある。この部屋にもあるし、中央刑事裁判所(オールドベイリー)の法廷にも必ずある。ただし、気づく者はほとんどおらん」(96ページ)
って、ワクワクしますよねぇ。

本書は、「プロローグ 起こったかもしれないこと」「エピローグ 本当に起こったこと」の間に「中央刑事裁判所(オールドベイリー) 起こったと思われること」という裁判シーンが入っている構成になっています。
ヘンリー・メリヴェール卿が弁護人をつとめるって、型破りなことやってくれるんじゃないかと思ってワクワクしますよねぇ。人によっては、語り手ケン・ブレークとその妻イヴリンのようにハラハラかもしれませんが。
おかげで法廷シーンが劇的になります。退屈な尋問シーンもなんだか気になるシーンに早変わり。
読後振り返ってみると、ヘンリー・メリヴェール卿は超人的な推理力を発揮していますし、あれこれ偶然というか運もヘンリー・メリヴェール卿に味方しています。

「ユダの窓」トリックに焦点が当たり勝ちですが、そしてそのトリックは確かにとても素晴らしいものですが、行き違い、勘違いの積み重ねで、事件の様相がさっと変わってしまう手際の鮮やかさこそが本書の最大の長所ではないかと思いました。
そしてそのために、周到に物語も登場人物もしっかりと構成されています。
たとえば、密室状態の部屋から消えてしまう薬入りウィスキーのデカンターやグラスなど、二重三重によく考えられています。
傑作というにふさわしい作品だと思います。

本書には巻末に、瀬戸川猛資、鏡明、北村薫、斎藤嘉久の4氏による座談会(?)の記録が収録されています。しかも司会が戸川安宣。すごくぜいたくなメンバーということもありますが、これがまた楽しい。
カーって、いろいろと突っ込みどころも多い作家なだけに、かえって座談会が盛り上がる気がしますね。

<蛇足1>
開始早々に「時に酒を過ごしたり羽目を外して愉快に騒ぐこともあったが、」(16ページ)とあって、新訳にちょっとがっかりしました。
~たり、~たり、という由緒正しい文型はもう過去のものなのでしょうか...

<蛇足2>
「その日の午後エイヴォリー老がアンズウェルのフラットに電話をかけてきて」(17ページ)
とあっさり書かれていてちょっとびっくりしました。
日本でいうところのマンションやアパートのようなものをイギリスではフラットと呼ぶのですが、そういういい方はあまり日本では広まっていないと思っていたからです。
時代も変わって、注なしですっと理解できるくらい広まっているのでしょうか?

<蛇足3>
「私はお前のためによかれと思って一生懸命だった。」(174ぺージ)
新訳版がっかりパート2です。一生懸命...

<蛇足4>
「百歩も二百歩も譲って認めて進ぜる」(181ページ)
一般に「百歩譲って」というのは誤りでもともと正しくは「一歩譲って」であると認識しています。
したがって、「一歩も二歩も譲って」というのが正しい日本語表現かと思いますが、ここの表現は、HM卿が国王側弁護人に対して大幅に譲渡してやると大袈裟に言ってのける場面かと思われますので、正統な日本語といえなくても、誇張した表現としておもしろいと思いました。
(もっとも原文を読んでいないので、ニュアンスまではわからず、日本語訳から勝手に推察しているだけですが)


原題:The Judas Window
著者:Carter Dickson
刊行:1938年
訳者:高沢治


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