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同志少女よ、敵を撃て [日本の作家 あ行]


同志少女よ、敵を撃て

同志少女よ、敵を撃て

  • 作者: 逢坂 冬馬
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2021/11/17
  • メディア: 単行本

<カバー袖あらすじ>
独ソ戦が激化する一九四二年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」──そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために….同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?


2023年2月に読んだ7冊目の本です。
単行本で読みました。
第11回アガサ・クリスティ―賞受賞作。
逢坂冬馬「同志少女よ、敵を撃て」(早川書房)
ついでに、第19回本屋大賞受賞作です。
また、「このミステリーがすごい!2023年版」第7位、
「2022年 週刊文春ミステリーベスト10 」第7位です。

この作品がアガサ・クリスティ―賞なのか、という思いは正直あります。
選考委員である法月綸太郎は選評で「アガサ・クリスティ―賞の名にふさわしい傑作」と書いていますが、冒険小説は広義のミステリに含まれるようなので、戦争冒険小説もミステリに入るということでOKなのでしょう。かなりミステリの枠を拡げないといけませんが。

でもね、ミステリかどうか、ジャンル分けは読者が勝手にすればよいこと。
むしろ逆に、アガサ・クリスティ―賞を応募先に選んでくれたことを、クリスティー賞サイドが感謝すべきかも。
間違いなく、この賞を代表する受賞作になるだろうからです。これまでのこの賞のベスト作品。それもダントツぶっちぎりのベスト。
(正直、これまでの受賞作には突き抜けたものがなかったように思えます)

ああいい、おもしろい小説を読んだなという充実の読書体験でした。
なにより、この小説の構図が美しい。
小説というものが本来持つべき堅牢な構成の美しさに圧倒されました。
構成の美しさを堪能するためにも、あらすじなどには目を通さずに直接本文へ進まれることをお勧めします。

狙撃手になる少女の成長物語です。
小説や映画で何度か読んだり観たりしてきていますが、改めて狙撃手の特殊性が浮き彫りにされています。
「まったく、狙撃兵というのは薄気味悪い手を使う」(275ページ)
「狙撃兵に好意的な歩兵は少ない」「国を問わず、歩兵と狙撃兵は相性が悪い」(343ページ)
「ママを撃った狙撃兵がことさらに残忍なのではない。
 ただ敵を冷徹に撃つ職人としての狙撃兵は、そこに撃てる敵がいれば撃つ。」(396ページ)

途中、物語に重要な人物として少年狙撃兵ユリアンが出てきます。彼のセリフも印象的。
「けれど、だからもっと敵を倒したい。きっと高みに達すれば、そこで分かるものがあるのではないかな。丘を越えると地平が見えるように、狙撃兵の高みには、きっと何かの境地がある。旅の終わりまで行って旅の正体が分かるように、そこまでいけば分かるはずだよ。そうでなければ、僕らはただ遠くのロウソクを吹き消す技術を学んで、それを競っているようなものだ」(290ページ)

イリーナの元同僚(?)で赤軍の英雄、先輩狙撃手リュドミラ・パヴリチェンコが要所に登場し、強い印象を残します。
「彼女が精神に関わる事柄を話したのは、ただ一度、狙撃兵は動機を階層化しろ、と言ったときだった。愛国心、ソ連人民に対する思い、ファシストを粉砕しろという怒り。それは根底に抱えて己を突き動かすものとして維持しつつ、戦場にいるときは雑念として捨てろ、というものだった。」(362ページ)
「射撃の瞬間、自らは限りなく無に近づく。極限まで研ぎ澄まされた精神は明鏡止水に至り、あらゆる苦痛から解放され、無心の境地で目標を撃つ。そして命中した瞬間から世界が戻ってくる。….覚えがあるだろう、セラフィマ」(373ページ)

物語の終盤は史実に沿って、ドイツの敗色が濃厚です。その流れの中で
「戦後、狙撃手はどのように生きるべき存在でしょうか」
と問われパヴリチェンコは答えます。
「私からアドヴァイスがあるとすれば、二つのものだ。誰か愛する人でも見つけろ。それか趣味を持て。生きがいだ。」(364ページ)
「今度こそ、私には何も残されてはいない。分かったか、セラフィマ。私は言った。愛する人を持つか、生きがいを持て。それが、戦後の狙撃兵だ」(374ページ)
一方で、未だ戦いは終結していないので、
「同志セラフィマ。今はただ考えずに敵を撃て。そして私のようになるな」(377ページ)
とも。
狙撃兵の不安定なありようが強く印象づけられます。

パヴリチェンコだけではなく、主人公であるセラフィマも、ある意味因縁の教官イリーナも、数々の考えさせてくれる言葉を発します。
この二人の関係性も、本書の大きなテーマの一つなので詳細は書きませんが、
「『たいしたもんだ』とイリーナが笑った。『私にはなぜああいう部下がいないのか』
『人徳の違いじゃないですか』
投げやりに答えると同時にドアが開いて、再び護衛兵士が現れた。」(366ページ)
というあたりなど、単なる鬼教官と生徒・部下という位置づけでないことが伺われていいシーンだと思います。

ある程度の戦果を収めたセラフィマが、新聞記者の取材を受けるシーンも、ややありきたりながらいいですね。
「新聞に載る言葉は自分のものではなく、常に、自分の言葉を聞いた新聞記者のものだ。」
「彼の綴る記事。その世界の自分は、きっと目の前で戦友が肉塊になったこともなければ、浮き足だって看護師に殴られたこともない、無敵の戦士なのだろう。変性的な意識のもと、現実から逃れようと歌いながら狙撃したことも、記事は愛国者の美談へと昇華させる。」(330ページ)

描かれるのは戦場が中心で、第二次世界大戦を描くとつきもののドイツの非業はあまり触れられませんが、
「ポーランドに攻め込んだ赤軍兵士たちは、ドイツがユダヤ人を虐殺していることは百も承知であったが、虐殺収容所を用いて何百万人を殺害し、摘発、輸送、収容から抹殺に至るまで社会機構とでも呼ぶべきシステムを構築して、ユダヤ人をヨーロッパから消滅させようとしているとは知らなかった。
 ナチス一党や軍人のみならず、広くドイツ国民の加担なくして成立し得ない大虐殺。」(357ページ)
とさらりと書かれているあたりは、特に、ナチスに限定せずドイツ国民全体に投げかけているところがかえって恐ろしく感じました。

戦争における非情な戦いを描いていますが、
そもそも戦争自体が非人道的なもので、
「この戦争には、人間を悪魔にしてしまうような性質があるんだ。」(356ページ)
というセリフを言う人物とセラフィマが迎える結末は、その象徴的なシーンであり、この小説の構成の美しさを示す箇所です。
また、パヴリチェンコの箇所もそうですが、戦後も視野に入っていることが、戦争を通した少女の成長物語の構成を確固たるものにしているように思えました。

物語の構成という点であえて疑問を呈するとすると、ドイツ側の狙撃手の視点になる箇所が数ヶ所あり、そこも読み応えのあるシーンになってはいる(さらに言うと、女性狙撃手を取り上げ、戦争、戦場における女性をテーマとするうえで、大きなピースとなる箇所となっているので入れておきたい要素・エピソードであることは重々理解できる)のですが、全体を通してみた時に、セラフィマたちの物語とのアンバランスさが気になりました。
もっとも書き込みすぎるとこの小説自体が長すぎることになってしまったかもしれません(今でも少々長い気がします)。

とはいえ、全体として非常に堂々とした構造を持つ戦争冒険小説で、ロシアによるウクライナ侵攻とタイミングが合ってしまったことといい話題性十分で、広くお勧めしたいです。


<蛇足>
「だが少佐の意思など、この際問題ではない。」(274ページ)
「意思」という用字、気になります。学校で習う「いし」は「意志」だったかと思います。
「意思」は法律用語のような気がしてならないのです。



<2023.8.3追記>
このミステリーがすごい!と週刊文春ミステリーベスト10のランキングを追記しました。




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