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首のない女 [海外の作家 ら行]


首のない女 (海外ミステリ叢書《奇想天外の本棚》)

首のない女 (海外ミステリ叢書《奇想天外の本棚》)

  • 出版社/メーカー: 原書房
  • 発売日: 2019/07/20
  • メディア: 単行本


<カバー裏あらすじ>
グレート・マーリニが経営する〈奇術の店〉に、ひとりの女性がやってきた。彼女は「首のない女」の奇術に使う装置をどうしても買いたいという。女性の謎めいた行動に好奇心をかき立てられたマーリニは、友人の作家ロス・ハートとともに彼女のあとを追う。やがて、大ハンナム合同サーカスへとたどり着いたふたりを待っていたのは、団長のハンナム少佐の事故死の知らせだった。だが、その死には不審なところがあった……。
少佐の死は事故か殺人か。「首のない女」とは誰なのか。呼び込みの口上、綱渡りに空中ブランコ、剣呑みに透視術にいかさまトランプ――華やかなサーカスの裏で渦巻く策謀に、奇術師探偵マーリニが挑み、窮地に立たされる。奇術師作家ロースンの仕掛ける大胆な詐術に驚愕せよ! 不可能犯罪の巨匠ロースンの最高傑作が、今ここに新訳でよみがえる!


ここから2月に読んだ本の感想です。
単行本です。山口雅也監修の「奇想天外の本棚」の第2作目。

クレイトン・ロースン、奇術師探偵マーリニといえば、
「帽子から飛び出した死」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)であり、「棺のない死体」 (創元推理文庫)ですが、実はよく覚えていません。
というよりは、いずれもごちゃごちゃしていて、読みにくく、ミステリとしての驚きもなんだかピンと来なかった記憶があります。

実は正直言うと今回の「首のない女」 (海外ミステリ叢書《奇想天外の本棚》)も同じ感想を抱いてしまいました。
自分の記憶力のなさを棚に上げていうのもなんですが、印象に残りにくいんですよね。

探偵役がマーリニというマジシャンなんですが、作者のクレイトン・ロースンもマジシャン。
ミスディレクションを縦横に張り巡らせて読者を煙に巻く。
のはいいんですが、どうも、ちまちました印象なんですよね。
一本とか技ありでもなく、有効を積み重ねていくとでも言いましょうか。大技ではない。
「右手が公明正大な動きをするのを観客が見ている間、左手はたいてい、不正な仕事にいそしんでいるものです。」(310ページ)
とマーリニがマジシャンの動きを警察に解説して見せますが、鮮やかな手つきに感動し、ああ、そうだったのか!、という風にはなりません。細かい技なので、謎解きされたときにあまり印象に残っていないからです。

巻頭の「炉辺談話」と称された山口雅也による前口上で
『ここで作者は、なんと、不可能犯罪の束縛から一歩踏み出し、新たな分野の「マジック」に挑戦しています。しかも、彼同時の奇術師はだしの巧妙極まりない詐術を駆使して、読者をあっと言わせることに成功しているのです。
 このロースンの巧妙な詐術や当時の最新の科学捜査導入は、後続する他の作品にも、隠然たる影響に影響を与えていると、わたしはにらんでいます。ですから、ひとりロースンの代表作というのみならず、本格ミステリの読まれるべきスタンダードの地位を要求できる路里標作(マイルストーン)と断言もできます。』(7ページ)
と書いているのですが、ちょっとぴんときませんでした。

とはいえ、
サーカスならではの雑然とした雰囲気と、次々と巻き起こる騒動、さらには、マーリニが刑務所に入れられてしまうというお楽しみ(?)つきで、楽しめましたし、「首のない死体」に必須の首を切る理由も、極めて合理的で納得のいくもので、満足しました。




<蛇足>
「大ハンナム合同サーカスは確かに分不相応の悲劇に見舞われた。」(173ページ)
分不相応という語を悪いことに対して使うのを見るのははじめてかもしれません。
こういう使い方もあるんですね。



原題:The Headless Lady
著者:Clayton Rawson
刊行:1940年
訳者:白須清美





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恋ひとすじに [日本の作家 赤川次郎]


恋ひとすじに (フタバノベルズ)

恋ひとすじに (フタバノベルズ)

  • 作者: 赤川 次郎
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2020/02/19
  • メディア: 新書

<カバー袖あらすじ>
文具メーカー〈ABカルチャー〉に勤める奈々子は、責任感はあるが惚れっぽい性格が玉に瑕。商社の取締役を名乗る青年・湯川と出会った日から、平凡な日常が変わり始める。突然妹が上京してきたかと思えば、同僚が殺されてしまい、奈々子自身も危険にさらされる。真相に近付こうとするたび、ちらつくのはある男の影だった……。


1月に読んだ最後の本です。
赤川次郎のノンシリーズ長編です。
そういえば、最近赤川次郎はシリーズものばかりかな、と思ってチェックしてみたら、2017年7月に出た「7番街の殺人」 (新潮文庫)(感想は書けていません)以来なのですね。
間に、「キネマの天使 レンズの奥の殺人者」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)が2017年12月に出ていますが、これはシリーズになるという触れ込みでしたので、続刊は出ていませんが、外して考えています。
赤川次郎は出版点数が近年大きく減っているので、シリーズものの比重が上がっているのですが、これほどノンシリーズが出ていないとは思っていませんでした。

帯に
「仕事と私…と殺人事件ーーどっちが大切!?」
と書いてありますが、これ、主人公奈々子が恋人に対して発する発言ではなくて、奈々子が自らに問いかける質問であるように思えるところが、いかにも赤川次郎ですね。

殺し屋が登場したり、悪役があまりにもあからさまだったり、とミステリとして上首尾とは到底いえませんが、いろんなストーリや登場人物が絡み合って、ラストになだれ込むところは、さすが赤川次郎。

ノンシリーズものも、こうやって時折楽しみたいですね。



タグ:赤川次郎
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二千回の殺人 [日本の作家 石持浅海]


二千回の殺人 (幻冬舎文庫)

二千回の殺人 (幻冬舎文庫)

  • 作者: 石持 浅海
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2018/10/10
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
不可抗力の事故で最愛の恋人を失った篠崎百代。彼女は復讐の為に、汐留のショッピングモールで無差別殺人を決意する。触れただけで死に至る最悪の生物兵器《カビ毒》を使い、殺戮をくりかえす百代。苦しみながら斃れていく者、逃げ惑う者、パニックがパニックを呼び、現場は地獄絵図と化す――。過去最大の密室で起こった、史上最凶の殺人劇。


いやあ、石持浅海、また変なこと考えましたねぇ。
と前回感想を書いた「カード・ウォッチャー」 (ハルキ文庫)(感想ページはこちら)と同じ書き出しで始めてしまいますが、今回はスケールがでかいですよ。なにしろ大型商業施設(ショッピングモール)を舞台に二千人以上を殺そうというのですから。

これだけスケールがでかいと、石持浅海の欠点が強調されてしまいます。
それは、動機。
本書の単行本時点でのタイトルは「凪の司祭」
都心への海風を遮ってしまうビル憎しから......この動機で殺されたら、テロを起こされたら(もうこれはテロです。作中ではテロではない、と言っていますが)、たまったもんじゃないなぁ。
まあ、いつものことだと思って、ここはスルーするしかないですね。

舞台となるのは商業施設「アルバ汐留」。ショッピングモールという設定です。
「それにしても、この施設はどうして横長にしてしまったのだろう。おかげで、移動が大変だ。六本木ヒルズみたいに、タワーにまとめてくれたらいいのに。土地の確保の問題なのかもしれないけれど、これでは建物というより、壁だ。」(209ぺージ)
「アルバ汐留は、四つの建物が横につながってできている。だから移動するには、建物を伝いながら延々歩かなければならない。
 まったく、いったい誰がこんな設計にしたんだよ。
 呉はフロアガイドをたたみながら思った。これじゃあ、商業施設というより、壁だ。」(223ページ)
と書かれていますが、うーん、壁、ですか。
通路の両側に店舗が並んでいる建物が連なっているのでしょうが、これ、壁と連想するでしょうか?
実際にものを見ているわけではないのでなんとも言えないのですが、人間が直感的に壁と連想するものよりは幅があるのではないかと思いますし、モールだと高さも壁と呼ぶには足りない気がします。
あと、引き合いに出されている六本木ヒルズ。複合再開発でタワーが印象的ではありますが、商業施設部分は決してタワーにまとめられているわけではないですけれど......あちらもかなり広範囲に広がっていますが......
汐留あたりのマンション群を、屏風にたとえたりすることはありますが、壁、ねえ......

さておき、このモールを舞台に、大量殺戮です。
ここがこの作品の勝負の分かれ目だと思いますが、ここはよく考えられているなぁ、と思いました。
トリコセテン・マイコトキシンという特殊な毒が効果的です。
(この毒、ネットで検索すると、トリコテセン・マイコトキシン、となっていますね......?? わざと変えてあるのでしょうか?)
また、モールの警備、管理会社、警察等々の動きにどう対応していくのか。
考えてみれば、石持浅海は論理を積み重ねていくのが得意な作家ですから、こういうふうに状況をシミュレーションして対策を立てて展開していくのは、向いているのかも。
展開はスピーディだし、読み応えたっぷり。
一方で、殺される側の人のエピソードがはいっているのは、ちょっと読むのがつらいんですが......

全体としては、動機を無視すると(!)、怪作で快作だと思います。


<蛇足1>
「藤間が言葉を切ると、天使が通り過ぎたような居心地の悪さが、店内を支配した。」(33ページ)
会話の途中でふっと静かになることを、フランス語で天使が通り過ぎる、通り過ぎた、と言いますが、それの連想でしょうか? 

<蛇足2>
「そんなことを考えながら通路を歩いていたら、ふといい香りが鼻をついた。周囲を見回すと、吹き抜けを通して三階が見えた。レストラン街だ。この香りはコリアンダーだったと思う。」(210ページ)
好みは好き好きということなのであれですが、コリアンダーの香りをいい香りと感じるんですね......
個人的にはかなり違和感があります。






タグ:石持浅海
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