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中尉 [日本の作家 か行]


中尉 (角川文庫)

中尉 (角川文庫)

  • 作者: 古処 誠二
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/07/25
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
敗戦間近のビルマ戦線にペスト囲い込みのため派遣された軍医・伊与田中尉。護衛の任に就いたわたしは、風采のあがらぬ怠惰な軍医に苛立ちを隠せずにいた。しかし、駐屯する部落で若者の脱走と中尉の誘拐事件が起こるに及んで事情は一変する。誰がスパイと通じていたのか。あの男はいったい何者だったのか――。一筋縄ではいかない人の心を緊迫状況の中に描き出し、世の不条理をあぶり出した戦争小説の傑作。


2023年2月に読んだ4冊目の本です。
ずっと読んできている古処誠二の作品です。
引用したあらすじに戦争小説とあるように、この「中尉」 (角川文庫)は、第二次世界大戦敗戦前後のビルマを舞台にしたもので、ミステリではありません。
あえてミステリ仕立てにしていないのだと思われますが、謎とその真相は非常に魅力的です。

はっきりと書かれてはいないものの、冒頭やラストから判断すると、現在進行形で物語られるのではなく、あとから振り返って述べられているという設定と思われますが、そうした場合によくある、反戦思想をもった視点人物というのではなく、この作品のわたしは、当時の価値観が伝わってくるのがポイントだと思います。
一方で、基本的には天皇を頂点とする大日本帝国の体制を信奉する軍人でありながら、冷静な目を兼ね備えているのが興味深い。

「兵役は苛酷で誰もが避けたい。ゆえに丈夫な男にしかこなせない義務だとわたしは信じていた。兵役を損と位置づける発言を悔やむ程度の心がけは少なくとも持っていた。女に月経と出産の苦しみがあるのならば男に入営と出征の苦しみがなければ不公平だとも思っていた。」(141ページ)
あるいは
「天皇陛下という存在は戦に負けたときにこそ真価を発揮する。」(144ページ)
などという意見は、この主人公:わたしならでは、と思えます。

「とある駅で使役に出たとき『君たちが負けたのは君たちが弱かったからではない』と監視兵に言われたことがある。敗者への気遣いならばわたしは逆に憤慨しただろうが、そのインド兵はどこまでも真剣だった。『もし日本に優秀な指導者がいたら今ごろ君たちはインドに駐留している』との自説を監視そっちのけで語るのだった。インパールを日本軍が占領していればインドの国民は刺激されていた。そして反英に立ち上がっていたという主旨だった。」(140ぺージ)
というのも興味深いですし、
「それにしても世界大戦の終わりが新たな戦を招くのだからこの世は複雑だった。」(146ページ)
などと情勢に冷静な目を向けているのも、現代の読者からするとたいへんありがたい語り手です。

事件に対しても冷静で
「それから先のことは知らない。どのような捜索がなされたのかも知らない。憲兵があとを引き継いだからにはわたしがメダメンサ部落にとどまる理由はなかった。いや、とどまってはならなかった。」(175ページ)
と、思索をめぐらすだけ(いろいろと周りから聞いてはいますが)で、勝手に暴走して捜索することなく、というのも立派です。

その意味では、中尉の誘拐事件の真相も、あくまでわたしの想像でしかないものの、最初に書いたように、非常に魅力的です。
戦時下の状況など正直想像を超えているのだろうと思いますが、それでも非常に説得力のある真相が隠されています。
この真相であれば、いくらでも話を大きくしてさまざまな要素をぶち込むことも可能なように思いますが、あえて登場人物を限定しすっきり見せているところがすごい。

わたしの戦後が幸せなものであるよう祈っています。


<蛇足1>
「ペストの収束までもう一息である。だが、もう一息となれば人間どうしても気がゆるむ。今一度、初日の心に戻るべきである。」(88ページ)
伊与田中尉のセリフです。
「初日の心」となっていて「初心」となっているに注目です。
「初心忘るべからず」の「初心」は本来「最初のころの気持ち」ではないので、こう言うべきですね。

<蛇足2>
「我々の建制は戦中と同じだった。」(145ページ)
なんとなく雰囲気はつかめるのですが、建制がわからず調べました。軍隊で、編制表に定められた本属の組織、とのことです。




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