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フライ・バイ・ワイヤ [日本の作家 石持浅海]

フライ・バイ・ワイヤ (創元推理文庫)

フライ・バイ・ワイヤ (創元推理文庫)

  • 作者: 石持 浅海
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2015/06/28
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
隆也のクラスの転入生は、二足歩行のロボットだった! これは病気の少女をロボットを通じて通学させる実験だという。奇妙な転入生にも慣れてきたある放課後、校内で級友が撲殺され、彼女(ロボット)の背中が被害者の血で染まっているのが発見される。殺害の動機は? ロボットと事件の関わりは?! 友人の死に直面した隆也たちを新たな事件が襲う……。近未来を舞台にした青春本格ミステリ。


タイトルになっている、フライ・バイ・ワイヤとは、
「飛行機を操縦する際、昔は昇降舵やフラップを、操縦桿から物理的な力で動かしていた。しかし半世紀ほど前から、すべて電気記号でコントロールするようになった。電気信号を伝えるワイヤによって飛ぶ。それがフライ・バイ・ワイヤだ。今のロボット開発につながる技術が、航空分野で実用化された、記念すべき成果だった。」(74ページ)
と簡潔に説明されていますね。
本書に登場するロボットが、病気のために登校できない少女一ノ瀬梨香によって遠隔操作されている点からつけられているタイトルと思われます。
エリート校(と呼ぶのは適切じゃないですね。292ページにあるように偏差値の高い高校と呼ぶべきです)に実験の意味も兼ねて、かかるロボットがやってくる、という設定です。

石持作品らしくというべきか、このロボットがやってきたことをめぐって、登場人物である高校生たちが、ああでもないこうでもないと推論を繰り広げるのがポイントです。
そのためにも、偏差値の高い高校という設定が必要だったのかもしれません。
もっとも、登場人物の議論が常軌を逸している、というか、ちょっと普通とは違う感覚になっているのはご愛嬌。いつもの石持浅海作品というところ。

ロボットということで、ロボット三原則も出てくるのです(「アシモフ・アプリケーションがインストールされている」(31ページ)と説明されていてほほえましい)が、このかたちをとるロボットの場合、梨香が操作している間はロボット三原則の適用が緩む(かもしれない)、というのが面白い点ですね。
だから、ロボットも殺人の容疑者となる。
さらっと扱われていますが、結構画期的な設定だと思います。ロボット三原則をこういう形で扱った作品をほかに思いつきませんから。

近未来という設定でおもしろいのはもう一つ。
生徒手帳のGPS機能で生徒の居場所がキャッチできてしまう、ということですね。
これもいろいろ考えようでミステリのネタが出て来そうな設定ですね。

この作品でも、動機に首をかしげざるを得ないのは石持浅海作品ではいつもどおり。
でも、いろいろと歪んだロジックを楽しめる作品だと思いました。

希望を持たせるようなラストをなかなかいいなと思ったのですが、同時に、この作品のトーンとしてはちょっとおさまりが悪いかな、と気になったことは蛇足、ですね。


タグ:石持浅海
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儚い羊たちの祝宴 [日本の作家 や行]

儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)

儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)

  • 作者: 米澤 穂信
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2011/06/26
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
夢想家のお嬢様たちが集う読書サークル「バベルの会」。夏合宿の二日前、会員の丹山吹子の屋敷で惨劇が起こる。翌年も翌々年も同日に吹子の近親者が殺害され、四年目にはさらに凄惨な事件が。優雅な「バベルの会」をめぐる邪悪な五つの事件。甘美なまでの語り口が、ともすれば暗い微笑を誘い、最後に明かされる残酷なまでの真実が、脳髄を冷たく痺れさせる。米澤流暗黒ミステリの真骨頂。


米澤穂信の作品の感想を書くのは、「リカーシブル」 (新潮文庫)(感想ページへのリンクはこちら)に次いで2作目で、なんと(自分でなんとと言ってりゃ世話はないですが)4年ぶりです。
文庫化された作品はすべて買ってあるというのに......
この「儚い羊たちの祝宴」 (新潮文庫)は、
「身内に不幸がありまして」
「北の館の罪人」
「山荘秘聞」
「玉野五十鈴の誉れ」
「儚い羊たちの晩餐」
の5編収録の連作短編集です。

あらすじには「米澤流暗黒ミステリ」、帯には「新世代ミステリの旗手が放つ衝撃の暗黒連作」とあります。
甘い気持ちで読めば、痛い目に遭う連作ですが、でも、米澤穂信の作品、もともとそんな甘々なものではなかったし、ダークなテイストであることに間違いはないのですが、ことさら「暗黒」なんて強調しなくてもよいような気もします。すなおに(?) ダークさを表に出しているからでしょうか。
江戸川乱歩命名の、奇妙な味、の連作ととらえることも可能な作品群です。

いずれの作品にも「バベルの会」という読書会が登場します。
お金持ち(名家という語の方がふさわしいでしょうか)の御令嬢が集まる読書会です。
また、いずれの作品も最後の一行が極めて印象的に仕上がっています。まさに最後の一撃(フィニッシング・ストローク)。

「身内に不幸がありまして」は、このアイデアを正面切ってミステリに仕立てる人がいるとは思いませんでした! と言いたくなるようなアイデアを使っています。でも、このアイデアを表に出してくるラストよりも、途中の展開に背筋が凍る思いがしました。

「北の館の罪人」は、地域に君臨する六綱家の屋敷の別館に住むことになった隠し子、あまりの視点で、同じく別館に幽閉されている当主の兄・早太郎との生活を描いています。淡々と描かれる生活が、すとんと形を変えるところが見事だと思いましたが、早太郎の絵をめぐるラストのセリフがとてもとても印象に残ります。

「山荘秘聞」は、別荘地で知られる八垣内(架空の地名でしょうか?)にある飛鶏館と呼ばれる山荘の管理人、わたし屋島の生活を描いています。1年間でただのひとりも客が来ず、何も起こらず平らな日々が、遭難した山岳部の越智を助けたことから急展開。
ただ、このラストは個人的には期待外れでした。いや、この言い方はフェアでないですね。
このラスト、誤読していました。
なぜ誤読がわかったかというと、ほかの方のHP、こちらこちらそしてこちら(いずれも勝手リンクをはっております)を拝見したからです。
この作品ラストの一行が、単行本から変更されているそうで、それを見ると誤読であることがはっきりします。
でもなぁ、誤読の方がこの連作にはふさわしい気がするんですけどねぇ、と負け惜しみ。

「玉野五十鈴の誉れ」は、チェスタトンの短編「イズレイル・ガウの誉れ」(「ブラウン神父の童心」(創元推理文庫)収録)を踏まえた作品です。
地方の名家に生まれた主人公純香は、君臨する祖母がつけてくれた使用人・玉野五十鈴と親しく暮らしていたが、運命は急転し...
絶望の淵に突き落とされた純香がたどる思考が見事で、とりわけラストの一行の破壊力が凄まじいですね。正直、あまりに凄すぎて笑えてしまうほどです。

最後を飾る「儚い羊たちの晩餐」は単体でインパクト十分なだけではなく、「バベルの会」をめぐるエピソードもインパクト十分です。なにしろ冒頭に「バベルの会はこうして消滅した」と宣言されているのですから。途中で明かされる「バベルの会」の会員要件(?) も印象深い。
厨娘(ちゅうじょう)という特別な料理人夏(なつ)を雇った成金大寺の娘鞠絵の手記という体裁です。
そしてその厨娘に、アミルスタン羊の料理を命じる...
アミルスタン羊! アミルスタン羊といえば、「特別料理」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)ですよね。作中でも言及されています。
この「儚い羊たちの晩餐」に出てくるその他の作品名は、アイリッシュの「爪」(「世界推理短編傑作集5」 (創元推理文庫)収録)、ロアルド・ダール「豚」(「キス・キス」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)収録)、ロード・ダンセイニ「二壜のソース」(「世界推理短編傑作集4」 (創元推理文庫)収録)。一貫していますね(笑)。絵画ですが、ジェリコーの「メデューズ号の筏」まで出て来ます。
本書の巻末を飾るにふさわしい作品だと思います。タイトルにもニヤリ(としたら性格破綻者でしょうか?)

米澤穂信、やはりおもしろい。
買いだめ(?) してありますので、読み進めるのがとても楽しみです。















タグ:米澤穂信
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謎解きはディナーのあとで3 [日本の作家 東川篤哉]

謎解きはディナーのあとで 3 (小学館文庫)

謎解きはディナーのあとで 3 (小学館文庫)

  • 作者: 東川 篤哉
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2015/01/05
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
恋ヶ窪の住宅街に建つ屋敷の寝屋で、老人の死体が発見される。枕元にあったのは、ペットボトルと湯呑み。死の直前には、飼い猫が行方不明になっていた。ペットロスによる自殺なのか、他殺なのか――事件は迷宮入りしていく。宝生邸に眠る秘宝が怪盗に狙われる、体中から装飾品を奪われた女性の変死体が見つかるなど、相次ぐ難事件に麗子はピンチ。そしてついに麗子と執事の影山、風祭警部の関係にも変化が訪れて……!? 令嬢刑事と毒舌執事コンビの国民的ユーモアミステリ第三弾。文庫版特典として、『名探偵コナン』とのコラボ短編小説『探偵たちの饗宴』収録。


「謎解きはディナーのあとで」 (小学館文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら
「謎解きはディナーのあとで (2)」 (小学館文庫)
に続くシリーズ第3弾です。
前作「謎解きはディナーのあとで (2)」は2017年6月に読んでいるのですが、感想は書けずじまいになっています。

この「謎解きはディナーのあとで 3」 (小学館文庫)は、
「犯人に毒を与えないでください」
「この川で溺れないでください」
「怪盗からの挑戦状でございます」
「殺人には自転車をご利用ください」
「彼女は何を奪われたのでございますか」
「さよならはディナーのあとで」
「探偵たちの饗宴」
の7編収録です。最後の「探偵たちの饗宴」はボーナストラックという感じなので、六話収録+おまけ、といういい方がふさわしいのかもしれません。

さて、このシリーズは探偵役である執事の影山のキャラクターがポイントで、その影山が吐く、主人であるはずのお嬢様、麗子に対する暴言(?) が売りです。
今回も決め台詞を各短編から抜き出してみます。

「なぜ、お嬢様は数多くの事件を経験しながら、一ミリも進歩なさらないのでございますか? ひょっとして、わざとでございますか?」
「お嬢様はわたしくと比べて目だけはよろしいものと思っておりましたが、どうやら見当違いでございました。目の前にあるヒントにまるでお気づきにならないとは……わたくしお嬢様には心の底からガッカリでございます」
「お嬢様、いま少しばかり脳みそをご使用になられてはいかがでございますか?」
「どーでもいいアリバイ崩しに血道を上げる警部も警部ですが、それにお付き合いするお嬢様も風祭警部とどっこいどっこいでございますね」
「この程度の謎で頭を悩ませておいでとは、お嬢様は本当に役立たずでございますね」
「失礼ながら、お嬢様は無駄にディナーをお召し上がりになっていらっしゃいます」

これでお分かりになります通り、決め台詞の切れ味がすっかり鈍っています。
この影山のせりふが日本語としておかしいことは相変わらずですが、その上切れ味まで鈍ってしまっては......。
敬語をちゃんと使えない、という執事、だけでかなり興醒めなのに。
敬語が怪しい点では、麗子に加えて話題に麗子の父が出てくると顕著です。
「お嬢様がそのような軽薄な振る舞いをなさったと知れば、きっと旦那様が嘆き悲しむに違いございません」(272ページ)

まあ、このシリーズにこのような点を指摘しても詮無いことですので、ミステリとしての側面に目を向けることにしましょう。

「犯人に毒を与えないでください」では、小味ではありますが、行方不明の猫と現場にあったペットボトルを絡めて推論を立てるところがおもしろく、特に同じ手がかりから2つの切り口を導き出すところは冴えていますね。

「この川で溺れないでください」は、死体移動したことがあからさまな状況から(なにしろ風祭警部すら気づくくらいです)どう捌くのかな、と思っていたら、なかなか気が利いた処理をしています。花見シーズンらしい手がかりとともに楽しめます。

「怪盗からの挑戦状でございます」は、怪盗に宝生家の秘宝が狙われます。秘宝が「金の豚」「銀の豚」というのが笑えますが、ちょっとしたミスディレクションが仕掛けてあるのがポイントでしょうか。

「殺人には自転車をご利用ください」は、子供用の椅子に座らされていた被害者、という謎が魅力的ですね。自転車を使ってアリバイ崩し! としてストーリーが進んでいくのをさらっとうまく処理して見せたところが面白かったです。

「彼女は何を奪われたのでございますか」は、被害者が身につけていた小物類を全て奪われているという状況で、犯人の狙いは何だったのか、という謎が味があります。なかなかおもしろい発想で仕立てられているのですが、ちょっと無理があるのが残念です。

本編最後の「さよならはディナーのあとで」は、空き巣狙いが家人に見つかり殺人に及んだか、と思われた資産家殺しを扱っていますが、おおかたの読者が想定する展開となり、かなり既視感(既読観)ある解決になるのが致命的です。とはいえ、凶器の木刀を出発点とする手がかり(アイデア)は目の付け所がいいな、と思いましたし、なにより本編は、あの宝生警部に関して驚愕のラストが訪れますので、まあ、事件の方なんかどうでもいいのでしょう。
このあとシリーズ新刊は出ていません。

おまけ編の「探偵たちの饗宴」は、名探偵コナンとの共演という趣向ですが、ダイイング・メッセージとされる「カムサハムニダ」には大笑いさせてもらいました。

東川篤哉は、このシリーズが終わったとしても、ほかに数多くのシリーズを抱えていて、新刊はじゃんじゃん出ています。
ミステリと笑いのバランスの取れた作品に出会えるのを楽しみにしています。




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エムブリヲ奇譚 [日本の作家 や行]

エムブリヲ奇譚 (角川文庫)

エムブリヲ奇譚 (角川文庫)

  • 作者: 山白 朝子
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2016/03/25
  • メディア: 文庫

<裏表紙あらすじ>
「わすれたほうがいいことも、この世には、あるのだ」無名の温泉地を求める旅本作家の和泉蠟庵。荷物持ちとして旅に同行する耳彦は、蠟庵の悪癖ともいえる迷い癖のせいで常に災厄に見舞われている。幾度も輪廻を巡る少女や、湯煙のむこうに佇む死に別れた幼馴染み。そして“エムブリヲ”と呼ばれる哀しき胎児。出会いと別れを繰り返し、辿りついた先にあるものは、極楽かこの世の地獄か。哀しくも切ない道中記、ここに開幕。


作者山白朝子はいわゆる覆面作家で、「死者のための音楽」 (角川文庫)(ブログの感想ページへのリンクはこちら)の東雅夫による解説でも正体を伏せられていましたが、この「エムブリヲ奇譚」 (角川文庫)の千街晶之による解説でも、「その正体は今では周知の事実だが」と書かれているものの伏せられています。
乙一の別名ですね。

「エムブリヲ奇譚」は連作短編集ですね。
「エムブリヲ奇譚」
「ラピスラズリ幻想」
「湯煙事変」
「〆」
「あるはずのない橋」
「顔無し峠」
「地獄」
「櫛を拾ってはならぬ」
「『さあ、行こう』と少年が言った」
の9編収録です。
すべて怪談専門誌『幽』に掲載されたものです。

旅本作家の和泉蠟庵が狂言回しをつとめます。蠟庵のお伴(荷物持ち)をつとめるのが、博打好きの耳彦です。時代背景は、よくわかりません。江戸時代のような、明治時代のような...
旅先で怪異に出会うというのが基本のフレームワークです。

「エムブリヲ奇譚」では、小川のそばで、堕胎専門の産院から捨てられた、小指くらいの大きさの胎児(エムブリヲ)を耳彦が拾います。もう死んでいると思ったら、なんと生きていて(!)、耳彦が育てます(!!)。胎内でないと育たないといわれるエムブリヲの行く末は、乙一ならではだと思いました。

「ラピスラズリ幻想」は、書物問屋ではたらいている輪という女の子が蠟庵と耳彦について旅に出ます。旅先で老婆に瑠璃(ラピスラズリ)をもらって輪廻を繰り返します。

「湯煙事変」は、死んだ人がつかりにくる(?)温泉の話です。耳彦の幼馴染がその死んだ人、というのがポイントですね。

「〆」は、ありとあらゆるものが人の顔の形をしている村に行きつきます。食べ物すら人の顔。これは嫌だなぁ、と強く思いました。生理的嫌悪、というレベルでアウトですね。
この物語の耳彦の行動、すごくよく理解できたのですが、さて、耳彦サイドと蠟庵サイド、どちらが普通なのでしょうか?

「あるはずのない橋」は、四十年も前に落ちてしまったのに、夜にかかる刎橋の話です。その刎橋には死者がいます。息子を死なせてしまったと後悔している老婆が息子と会いに行き...
いつもの乙一節とは違う着地だな、と感じましたが、一方で、これはこれで乙一かな、とも思いました。

「顔無し峠」では、迷った末にたどり着いた村で、耳彦が別人(喪彦)と間違われます。「あるはずのない橋」と打って変わって、きわめて乙一らしい作品だな、と感じました。

「地獄」は悪者の策にはまって耳彦は井戸に幽閉(?)されてしまいます。井戸には先客、余市とふじがいて...。これは、まさしく地獄、ですね。でも、ラストの地獄絵図の凄さと来たら...

「櫛を拾ってはならぬ」は、耳彦が休養中(?) に蠟庵に雇われた男を襲う悲劇を描いています。
蠟庵みたいな旅本作家になりたいという若者だったのに、可哀そうに...
櫛を拾うときには、一度、足で踏んでから拾わないと、苦死(苦しみと死)を拾うことになってしまう、という言い伝えを背景にしていますが、蠟庵が合理的(?) な解釈を打ち出すところが異色ですね。

「『さあ、行こう』と少年が言った」は、一転して、蠟庵の少年時代の姿を旧弊な地主の家に嫁いだ若妻の目から語る異色作です。
しかし、この作品のラストで示される蠟庵の悪い癖=迷い癖は、もう癖というレベルではなく、神隠しとか天狗攫いとか、もう怪異現象ですよね...


シリーズはこのあと「私のサイクロプス」 (角川文庫)が出ています。

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ガール・オン・ザ・トレイン [海外の作家 は行]

ガール・オン・ザ・トレイン(上) (講談社文庫)ガール・オン・ザ・トレイン(下) (講談社文庫)ガール・オン・ザ・トレイン(下) (講談社文庫)
  • 作者: ポーラ・ホーキンズ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/10/15
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
夫と離婚し、酒浸りの日々を送るレイチェル。彼女は通勤電車の窓から、一組の幸せそうな夫婦を見つけ、昔の自分の姿と重ね合わせていた。その夫婦の家は、かつての自宅に近接しており、元夫は当時の家で新しい妻子と暮らしているのだった。絶望と闇を抱える女性三人の独白で描く、サイコスリラーの傑作!<上巻>
ある朝、レイチェルは電車の窓から、理想としていた主婦の、不倫現場を見てしまう。その直後、主婦は行方不明に。失踪か、殺人か。捜査が難航する中、彼女の過去が徐々に明かされる。レイチェルは「真相」を告げようと被害者の夫に近づくが、それが悲劇の始まりだった。世界で絶賛された英国ミステリー、驚愕の結末。<下巻>


8月の中旬以降すっかりさぼっていました。
夏休みシーズンということで、海外旅行に行ったりもしましたが、それは主因ではなく、さぼり癖がついちゃったようです。
9月になりましたので、気を取り直して! (と言いながら、自分の生来の怠け癖に懸念がありますが...)

さて、この「ガール・オン・ザ・トレイン」(上) (下) (講談社文庫) ですが、2年くらい前に知人にお勧めされたものです。
映画も面白かったけれど、小説も面白かった、と。

上下巻になる長い物語ですが、すらすら読めます。
面白かったです。
「世界50ヵ国で出版、累計1500万部」という帯がついているのですが、売れているのもよくわかるわかりやすさ、おもしろさです。映画化もされましたしね。
(余談ですが、この「50ヵ国」という表記、嫌いです。50ヶ国か50箇国と書いてほしいですね。ヶは箇の略字と聞いていますので許容範囲かと思いますが、ヵって何なんでしょうか? こんな字ありますか??)
でも、手放しでほめるわけにはいかない気がしました。

まず主人公であるレイチェルというのがちょっと受け入れがたい。
ひらたく言うと、アル中で、ストーカーなんです。
常識では考えられないような行動を取ります。
物語の駆動力が、常識外のところにある、というのは我慢しなければいけない作品もあるでしょうが、この作品の場合はちょっとどうかな、と思います。いわゆる常識の範囲外にある主人公が、常識の範囲内の世界設定にいる、という作品は数多くありますが、それらの作品の目指すところは、この作品の目指すところとは違うので。
こういう設定で感情移入できないうえに、主人公が行動するたびに、「いくらなんでも(ひどいケースには、いくらアル中でも)そんな行動はとらないだろう」と思えてしまうので、物語に入り込むのが難しい。

また小説の技法として、視点人物を3人設定しているのですが、これは確かにサスペンスを高めてはいると思うのですが、少々作者に都合がよい切り替えになっている気がしました。
一方で、3人も視点人物がいるせいで、ただでさえ少ない登場人物の中の”犯人候補”が非常に限定されてしまっています。カバー裏のあらすじに、「驚愕の結末」とありますが、この状況で真相が明かされたときに驚愕する読者がいるとは思えません。

それでも、面白く読めたんですよね。
女性三人の視点というのが、逆に興味深かったですね。
非常にわかりやすく、直截的に心理が書かれているので、(理解できる、できないは別にして)それぞれの状況やものの見方が伝わってくるからです。

また、物語が転がりにくい局面になると、常識はずれの行動を主人公がとって新たな展開を生み出すので(作者の技巧としてはあまりに安直ですが)、次々にストーリーが進んでいく快感はあります。

ということで、知人には心置きなく「面白かったよ」と伝えることができました!

映画の方は観ていませんが、上に書いたような欠点(?) は映画化するとなくなりやすい点ですので、うまく処理されているのでしょうね。


<蛇足>
カバーに使われている写真、車窓から見える景色としての住宅街がイギリスらしくてよいと思いましたが、この作品の場合は裏庭側が車窓から見えるという設定なので、この写真は違うなぁ、と。残念。



原題:The Girl on the Train
作者:Paula Hawkins
刊行:2015年
訳者:池田真紀子



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