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仮面舞踏会 [日本の作家 や行]


仮面舞踏会 金田一耕助ファイル17 (角川文庫 よ 5-17 金田一耕助ファイル 17)

仮面舞踏会 金田一耕助ファイル17 (角川文庫 よ 5-17 金田一耕助ファイル 17)

  • 作者: 横溝 正史
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 1976/08/27
  • メディア: 文庫


<カバー表紙あらすじ>
裕福な避暑客の訪れで、閑静な中にも活気を見せ始めた夏の軽井沢を脅かす殺人事件が発生した。被害者は画家の槇恭吾、有名な映画女優・鳳千代子の三番目の夫である。華麗なスキャンダルに彩られた千代子は、過去二年の間、毎年一人ずつ夫を謎の死により失っていた。知人の招待で軽井沢に来ていた金田一耕助は早速事件解決に乗り出すが……。構想十余年、精魂を傾けて完成をみた、精緻にして巨大な本格推理。


2023年10月に読んだ5冊目の本です。
横溝正史の「仮面舞踏会」(角川文庫)
先日読んだ、E・D・ビガーズ「チャーリー・チャン最後の事件」(論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)の解説に触発されて買いました。

横溝正史を読むのは、「犬神家の一族」 (角川文庫)(感想ページはこちら)以来ですね。
あれは2012年でしたから10年ぶり。
2012年は横溝正史生誕百十周年記念「期間限定 杉本一文 復刻カバーで発売!」ということで本屋さんに横溝正史の角川文庫が並んでいましたが、十年後の2013年は百二十周年ということで復刊含め展開されていましたね。
購入した「仮面舞踏会」は通常カバーでした。ちょっと残念。

横溝正史の本は、地元の図書館に角川文庫が揃っておりまして、小中学生の頃ほとんどすべて読みつくしているはずなのですが、例によって覚えていません。
今回読み返して、かなり強烈な話なので、どうして覚えていないのだろう? と不思議に思うくらいなにひとつ覚えていません。

登場人物が多いせいか、導入部分はちょっとモタモタした印象で、そこそこの厚さの本(597ページ)なのでこの調子だとつらいな、と思っていましたが、途中からちゃんと勢いがつきました。
「チャーリー・チャン最後の事件」を思わせるのって、元夫がいっぱいいるという設定くらいだなあ、と思いつつ読んでいたところ、読了してみればニヤリとできる箇所があって楽しい。

ミステリ的には結構大胆な仕掛け(トリックという感じではないと思います)を使っていまして、「チャーリー・チャン最後の事件」感想で触れた横溝正史の別の作品も連想して、またもニヤリ。

しかし、この作品の金田一耕助って真相にはたどり着きますが、あんまり推理した感じがしないですね。
真相解明シーンでも
「ここが金田一耕助の論拠の薄弱なところだったが」(563ページ)とか
「ここがまた金田一耕助の論拠の薄弱なところである。」(569ページ)とか、
「金田一耕助の説明はますます苦しくなってくる。これからかれの述べるところはいささか牽強附会に過ぎるようだが、しかし、金田一耕助はそれ以外に説明するすべをしらなかった」(569ページ)
とか書かれちゃう始末ですからね。
謎を解いた、というよりは、謎が(勝手に)解けた、という感じ──それが不自然でないようにストーリーが展開します。

このように謎解きとしては弱いところがあるうえに、話自体がとても強烈なので賛否は分かれそうです。
長い話とはいえ、肝心かなめの犯人像の書き込みが薄く感じられるのも弱点かなと感じます。
とはいえ、大胆な仕掛けを支える細かな人物の出し入れはさすがという感じがしますし(物語の前半部分で物語的には面白くても不要じゃないかなと思えた人物が後段できちんと活かされたり、金田一耕助がそれぞれの登場人物とかかわりあうタイミングが事情聴取のそれも含めいい塩梅だったり)、いいではないですか、こういうの。
ここまで完璧に忘れちゃっているのなら、横溝正史の傑作群を読み返すのもいいな、と思えてきました←いや、だから積読が嵩んでいるんだから、それどころじゃないでしょ、と自らにつっこみつつ。


<蛇足1>
「じぶんの書斎にはいった。そこは忠煕がデン(洞窟)と称しているところで」(41ページ)
マンションの広告などで間取りに DEN というのがあるので、それのことだな、と思って読んでいたところ、
「そこは飛鳥忠煕のいわゆる den 、すなわち洞窟である。」(268ページ)
と後にあり、まさに。

<蛇足2>
「若いころエジプトとウルで発掘に従事したこの元貴族は、ちがごろまた古代オリエントの楔形(せっけい)文字や、スメールの粘土板タブレットに、ひそかな情熱をかきたてられているらしい。」(20ページ)
ウルというのにピンと来なかったのですが、古代メソポタミア南部にあった古代都市で、いまのイラクにあるようですね。
あと楔形文字に ”せっけい” とルビが振ってあります。学校では "くさびがた"と習いましたが、音読みもするのですね。

<蛇足3>
「 早大野球部のグラウンドのとなりに、ドッグ・ハウスの林立している空地があった。」(79ページ)
犬小屋?? と思いましたが、キャンプ場にある簡素な建物をドッグ・ハウスと呼んでいたのですね。

<蛇足4>
「いまにして思えばあのとき電話に出ておけば、もっと取りとめたことが聞けたかもしれないと思ってるんですがね」(138ページ)
”取りとめない” と否定形ではよく使いますが、肯定形で使った例はあまり見ないですね.....

<蛇足5>
「それは警部さんチャクイですね」(386ページ)
金田一耕助のセリフですが、”ちゃくい” がわかりませんでした(前後から見当はつくのですが)。
「狡猾(こうかつ)である。ずるい。こすい。」というあたりの意味らしいです。

<蛇足6>
「ぼくは兄さんみたいに極楽トンボじゃありませんからね。根がセンシブルにできている」(407ページ)
”sensible” は ”分別ある、思慮深い” という意味で、これでも前後の意味は通らなくもないのですが、ここは "sensitive" (神経質な、ナイーブな) のほうがしっくりする気がしますね。

<蛇足7>
「ぼくがこのからだで六条御息所みたいに生霊になって、ヒュードロドロと現れたら、みんなさぞ驚くだろうな」(414ページ)
”みやすみどころ” と読むのだと思っていたら ”みやすんどころ” とルビが振ってありました。
”みやすみどころ” でもまちがいではないようですが、”みやすんどころ” のほうが一般的なようです。”みやすみどころ” とならった気がするんですけどね。
漢字変換でも ”みやすんどころ” だとすっと "御息所" が出てきますが、”みやすみどころ” では出てこないですね。

<蛇足8>
「それが怖うございますわね。」(462ページ)
「怖う」って何と読むのだろう?と止まってしまいました。
怖いの活用・音便だと思いますが、”こおう” と読むようです。いま使っても通じないかも。





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