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映画:エゴイスト [映画]

エゴイスト 1.jpg


いつものように(?) 「シネマトゥデイ」から引用します。

見どころ:エッセイスト、高山真の自伝的小説を実写化したドラマ。セクシャリティーを隠して生きてきた過去を持つ男が、ある青年に愛を注ぐ一方で言いようのない葛藤を抱える。メガホンを取るのは『Pure Japanese』などの松永大司。強がって生きてきた主人公を『俺物語!!』などの鈴木亮平、主人公と惹(ひ)かれ合うパーソナルトレーナーを『his』などの宮沢氷魚が演じる。

あらすじ:東京の出版社で、ファッション誌の編集者として働く浩輔(鈴木亮平)。自由気ままな日々を送る彼だが、14歳で母を失い、田舎町でありのままの自分を隠しながら思春期を過ごした過去があった。ある日彼は、シングルマザーである母親を支えながら働く、パーソナルトレーナーの龍太(宮沢氷魚)と出会い、惹(ひ)かれ合っていく。亡き母への思いを抱える浩輔は、母親に寄り添う龍太に手を差し伸べ、彼を愛する日々に大きな幸せを感じる。あるとき浩輔は、龍太とドライブの約束をするが、龍太はいつまでたってもやってこなかった。


通常日本映画は観ないのですが(このブログにも映画の感想はかなり書きましたが日本映画の感想は数本だと思います)、たまたまつけたテレビで主演の鈴木亮平が宣伝に出ていて、興味が湧いたので観ました。
日本映画を観ないのは、映画の世界に入り込むときに、現実との間でワンクッション欲しいからです。リアルな映画であっても、現実からは飛躍を感じたい。
日本映画だと、どうも地続き感がぬぐえないのですね。
あと日本映画の間があまり好みではないということもあります。

いい映画を観たな、と感じました。
ゲイを扱った映画で、タイ・ドラマで個人的にお馴染みになったBLテイストかな、と思っていたのですが、浩輔(鈴木亮平)と龍太(宮沢氷魚)が出会って、付き合うようになる前半はそれっぽいところもありますが、BLというにはストレートすぎます(ストレートという語をここで使うと誤解を招くかもしれませんね。直線的すぎます、でしょうか)。二人は自然に付き合うようになります。
うまくいきだしたところで、龍太が関係をやめたいと言い、山場登場。なんとかこれを二人で乗り越えたと思ったら、大きな転機が訪れる(個人的には、この転機を予感させるシーンをもっと事前に出しておいてほしかったところなのですが、それはミステリ好きだから来る勝手な要求なのでしょう)。

ゲイというとまだまだ世間での受け止め方が進んでいるとは言えない状況で、家族との関係というのも一つのテーマとなりうるものだと思います。
この「エゴイスト」でも、龍太の家で龍太の母(阿川佐和子)と会った浩輔が、二人の関係を隠すシーンがあります。
ここはとても重要なシーンなのですが、この映画のテーマはこれとは違うベクトルで存在します。
ゲイテーマの映画かと思っていたら(いや、確かにゲイテーマの映画なのですが)、ここからタイトル「エゴイスト」にも連なる要素が強く前面に出てくるのです。
ポスターに「愛は身勝手」と書かれていて印象的です。
この言葉を念頭におくと、浩輔の父(柄本明)が言う「出会っちゃったからしょうがない」という言葉の響きが共鳴します。

映画を観た直後から、浩輔の「愛」の向きをどう受け止めてよいのか考えています。
映画と原作は別物ということは理解していますが、原作も読んでみるかな、と考えている次第です。

映画の感想が続きましたが、ひとまずこれで本の感想に戻ります。


製作年:2023年
製作国:日本
監 督:松永大司
時 間:120分


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映画:ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り [映画]

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映画の感想が続きます。

「シネマトゥデイ」HPから引用します。

見どころ:盗賊や戦士、魔法使いといった個性豊かなメンバーが巨悪に立ち向かうアクションファンタジー。さまざまな種族やモンスターが生息する世界で、盗賊である主人公がユニークなメンバーとチームを組み、世界を脅かす悪の勢力とバトルを繰り広げる。出演は『スター・トレック』シリーズなどのクリス・パインや『ワイルド・スピード』シリーズなどのミシェル・ロドリゲス、『噂のモーガン夫妻』などのヒュー・グラントなど。監督を『お!バカんす家族』などのジョン・フランシス・デイリーとジョナサン・ゴールドスタインが務める。

あらすじ:さまざまな種族やモンスターが共存する世界、フォーゴトン・レルム。盗賊のエドガン(クリス・パイン)は相棒の戦士ホルガ(ミシェル・ロドリゲス)と共に、ある目的のための旅を始める。魔法使いのサイモン(ジャスティス・スミス)らも加わり、世界を脅かす悪の勢力を倒すべく、彼らは立ち上がる。


こういうの痛快作というんでしょうね。
原作(?) はゲームのようですが、そちらはプレイしたことはなく興味もあまりありません。それでも問題なく楽しめます。

もともとは正義の味方(ですよね?)だったのに盗賊に身を落としている主人公。盗みに失敗して投獄されている。魔法使いソフィーナと手を組み支配者となっている昔の仲間フォージに復讐し、死者をよみがえらせることのできる石板を手に入れ妻を復活させ、娘を取り戻すため、仲間のホルガと脱獄し旅に出る。
桃太郎みたいに(たとえが古い......)仲間を募り、城を目指します。
この手の作品では途中で仲間割れとか起こって足の引っ張り合いをしたりする作品が多いですが、この作品ではそういうこともなく、一本調子でずんずん進むので極めて快調。
笑いの要素もちりばめられていて、飽きることなく楽しめます。

時間を停めることのできる魔法使いとどう戦うのかも含めて、魔法の使い方も工夫が凝らされていて楽しい。
死者をよみがえらせて当時の状況を聞くあたりとか、製作者も気に入っていたのでしょうね、と思わせる仕上がり。ついでに書いておくと、吹替版製作者も気に入っていたのでしょう、このシーン。

こういう娯楽映画は難しいことを考えず、すっと世界に入りこめて楽しめることが重要ですよね。
観ていて、敵役のヒュー・グラント含めて演じている役者さんたちも楽しんでやっているんだろうなと感じられました。

誤算は、吹替版だったこと。
観た映画館で「ダンジョンズ&ドラゴンズ」は吹替版しかなかったんですよね。
1種類しかない場合、当然字幕版だと思い込んで予約して、劇場に着いたら吹替版......
個人的に、映画の吹替特有のセリフ回しがあまり好きではないんです。ちゃんと確認しないといけなかったですね。反省。


製作年:2023年
原 題:DUNGEONS & DRAGONS: HONOR AMONG THIEVES
製作国:アメリカ
監 督:ジョン・フランシス・デイリー/ジョナサン・ゴールドスタイン
時 間:135分





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映画:逆転のトライアングル [映画]

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映画のHPからあらすじと作品紹介を引用します。
場所は高級レストラン。「ありがとう。ごちそうさま」と、恋人のヤヤ(チャールビ・ディーン) に言われ、憮然とするカール(ハリス・ディキンソン)。2人ともファッションモデルだが、ヤヤは超売れっ子でカールの何倍も稼いでいる。毎度男が払うのが当然という態度のヤヤにカールが疑問を呈すると、激しい言い争いになってしまう。「男女の役割にとらわれるべきじゃない」とカールは必死で彼女に気持ちを伝えようとするが、難しい。インフルエンサーとしても人気者のヤヤは、豪華客船クルーズの旅に招待され、カールがお供することに。乗客は桁外れの金持ちばかりで、最初に2人に話しかけてきたのは、ロシアの新興財閥“オリガルヒ”の男とその妻だ。有機肥料でひと財産築いたと語る男は、「私はクソの帝王」と笑う。船には、ヤヤに写真を撮ってもらっただけで、「お礼にロレックスを買ってやる」という「会社を売却して腐るほど金がある」男もいる。上品で優しそうな英国人老夫婦は、武器製造会社を家族経営していた。国連に地雷を禁止されて売り上げが落ちた時も、「夫婦愛で乗り切った」と胸を張る。そんな現代の超絶セレブをもてなすのは、客室乗務員の白人スタッフたち。旅の終わりに振舞われる高額チップを夢見ながら、乗客のどんな希望でも必ず叶えるプロフェッショナルだ。そして、船の下層階では、料理や清掃を担当する有色人種の裏方スタッフたちが働いている。
ある夜、船長がお客様をおもてなしするキャプテンズ・ディナーが開催される。アルコール依存症の船長(ウディ・ハレルソン) が、朝から晩まで船長室で飲んだくれていたために、延び延びになっていたイベントだ。キャビアにウニにトリュフと、高級食材をこれでもかとぶち込んだ料理がサーブされる中、船は嵐へと突入。船酔いに苦しむ客が続出し、船内は地獄絵図へ。泥酔した船長は指揮を放棄し、通りかかった海賊に手榴弾を投げられ、遂に船は難破してしまう。
数時間後、ヤヤとカール、客室乗務員のポーラ、そして数人の大富豪たちは無人島に流れ着く。海岸には救命ボートも漂着、中には清掃係のアビゲイル(ドリー・デ・レオン) が乗っていた。彼らはボート内の水とスナック菓子で空腹をしのぐが、すぐになくなってしまうのは目に見えている。すると、アビゲイルが海に潜りタコを捕獲! サバイバルのスキルなど一切ない大富豪とインフルエンサーが見守る中、アビゲイルは火をおこし、タコをさばいて調理する。
革命が起きたのは、アビゲイルが料理を分配する時だった。「ここでは私がキャプテン」という彼女の宣言を、認めなければお代わりはもらえない。全員を支配下に置いたアビゲイルは、“ 女王”として君臨していくが―。

モデル・人気インフルエンサーのヤヤと、男性モデルカールのカップルは、招待を受け豪華客船クルーズの旅に。リッチでクセモノだらけな乗客がバケーションを満喫し、高額チップのためならどんな望みでも叶える客室乗務員が笑顔を振りまくゴージャスな世界。しかしある夜、船が難破。そのまま海賊に襲われ、彼らは無人島に流れ着く。食べ物も水もSNSもない極限状態に追い込まれる中、ヒエラルキーの頂点に立ったのは、サバイバル能力抜群な船のトイレ清掃婦だった――。
驚くべき人間観察眼とセンス抜群のブラックユーモアで、毎度私たちを絶妙にいたたまれない気持ちにさせてくれるスウェーデンの鬼才リューベン・オストルンド監督。2014年、フレンチアルプスのリゾートホテルで繰り広げられる、とある一家の気まずすぎるバカンスを描いた『フレンチアルプスで起きたこと』でカンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞を、続く2017年の『ザ・スクエア 思いやりの聖域』で、同映画祭最高賞であるパルムドールを受賞。その手腕は、今回も絶好調で、本作『逆転のトライアングル』で再びカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞という快挙を成し遂げた。パルムドールを2回連続受賞をした監督としては史上3人目(ビレ・アウグスト、ミヒャエル・ハネケに次ぐ)の快挙となる。
出演は、人気に陰りが見え始めたイケメンモデルのカールに『マレフィセント2』のハリス・ディキンソン、人気インフルエンサーでありカールの恋人でもあるヤヤに、2022年惜しくも急逝したチャールビ・ディーン、無人島で予想外のサバイバル能力を見せるトイレ清掃婦のアビゲイルには、本作でゴールデングローブ賞助演女優賞にノミネートされているドリー・デ・レオン、そしてアル中の船長として圧倒的な個性をみせつけていたのは『スリー・ビルボード』などでアカデミー賞[レジスタードトレードマーク]に3度ノミネートされている名優ウディ・ハレルソン。ファッション業界やルッキズム、現代階級社会などを痛烈に皮肉りながらも、私たちの価値観を見事にひっくり返す、世紀の大逆転エンタメがここに誕生した!

長い引用となったので、いつもの「シネマトゥデイ」HPからの引用はやめておきます。

意地の悪い視点とはいえ、金持ちやスノビズムを笑う、カラッとした娯楽作かと想像して観に行きました。
冒頭、H&Mとバレンシアガの違いをモデルの表情で笑い飛ばして見せるシーンあたりはまさにそんな感じで、これは楽しめるな、と思いました。
ところがそういう感じではなかったですね。
もっとグロい話。

豪華クルーズ船でも、金持ちのいやらしさは存分に描かれます。
クルーに泳げと強要し、クルーズ船運営側もそれを受け入れてしまうシーンの醜悪さ。
醜悪といえば、キャプテンズ・ディナーのシーンが最悪です。
ここまで執拗に嘔吐シーンを映し出す必要があるでしょうか......
観ているだけで気分が悪くなってしまう。

いよいよクルーズ船は沈没し、人の見当たらない島に舞台が移ります。
生き残った乗客、クルーの中で、サバイバル能力にたけていたのが掃除係で、彼女が全体を支配していく。
この流れでも、十分コミカルにすることは可能だと思うのですが、話の方向はそちらではありません。
ことさらに人間の醜悪さを描き出すことに重きが置かれています。

邦題は「逆転のトライアングル」ですが、原題は ”Triangle of Sadness”。
眉間のあたりの皴のできるエリアのことを指します。冒頭のシーンでさらっと出てきます。
もちろんこれは、主演格のモデルカップル、ヤヤとカールと遭難後リーダーとなる掃除係アビゲイルの間の三角関係をも指すわけで、そのことはラストシーンからも明らかですね。
このラストシーン、はっきりと描かれていないので観客の想像にゆだねられているのですが、登場人物の行動面でいうというほど選択の余地(想像の余地)はないにも関わらず、登場人物の心理面ではさまざまな想像をめぐらすことができるのが興味深いと思いました。特にカールの心理には注目かな、と。



製作年:2022年
原 題:TRIANGLE OF SADNESS
製作国:アメリカ
監 督:リューベン・オストルンド
時 間:147分



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映画:マジック・マイク ラストダンス [映画]

マジックマイクラストダンス.jpg

映画、です。

いつものように(?) 「シネマトゥデイ」HPから引用します。

見どころ:『ローガン・ラッキー』などのチャニング・テイタムの実体験を基に男性ストリップダンスの世界を描き、ミュージカルも製作された『マジック・マイク』シリーズの最終章。全てを失いステージから遠ざかっていた元ストリップダンサーが、人生を懸けた一夜限りのラストショーを成功させるべく奮闘する。監督は1作目を手掛けた『オーシャンズ』シリーズなどのスティーヴン・ソダーバーグ。シリーズを通して続投するチャニングをはじめ、『フリーダ』などのサルマ・ハエックらが出演する。

あらすじ:破産して落ちぶれた元ストリップダンサーのマイク(チャニング・テイタム)は、現在はバーテンダーとして働きながらさえない日々を送っていた。ある日、資産家の女性マックス(サルマ・ハエック)と出会い「バーテンの仕事は好き?」と尋ねられた彼は、「本当は別の夢がある」と答える。彼女から究極のステージを成功させるよう依頼を受けたマイクは、再起を懸けてロンドンへ向かい、世界中から集まったダンサーたちと共に一夜限りのラストショーに挑む。


これ、シリーズ第三作なのですね。
「マジック・マイク XXL」という第二作が作られているのを見逃していました。
第一作「マジック・マイク」(感想ページはこちら)を観たのは映画1000円均一の日(当時)でした。
「マジック・マイク」の感想を読み返すと、全然褒めてないですね(笑)。
なのに不思議に悪い印象が残っていなくて、つい「マジック・マイク ラストダンス」を観に行ってしまいました。今回も水曜サービスデイという名目で1,200円という割引価格で観ることができる日でしたが。

ミュージカル化もされていて、ロンドン滞在中に劇場は見かけました。ロンドンのど真ん中、レスター・スクエアの劇場でした(ミュージカルそのものは観ていません)。

非常にストーリーが単純で、しかも型どおり。
脇役陣もかなり面白い設定になっているのですが、もう一息活躍が足りない。

このダンスを作り上げるきっかけとして、女性の解放だなんだという能書きが垂れられるのですが、正直不要。
そんなお題目は不要だし、この映画の展開を見る限りにおいては、あまり効果を上げていません。
このお題目で男性ストリップということなら、いつの時代の話!? とも思えてしまいますね。

なのですが、この映画はこれでよいのでしょうね。
ストリッパーたちのダンスこそが見どころで、極論すればそこさえあればいいのですから。
この潔さがポイントかと思います。
映画のHPによるとクライマックスにあたるラストのダンスシーンは30分もあるそうで、圧巻。
ソダーバーグ監督が「この30分にこれまでの映画の全てをかけた」と言っているという記述もありますね。

ただ同時に、ダンスシーンが素晴らしければ素晴らしいほど、これを舞台上で、肉体の躍動を直接目にすることのできる舞台で観たら、もっと素晴らしいだろう、と思ってしまうのを止められません。
舞台だと、席によって見る角度が限られてしまうという弱点はあるんですけどね。
空気を感じる臨場感とでもいうのでしょうか、それがあるといいなぁ、とないものねだりをしたくなります。
ミュージカル、観ておけばよかったかな? とそんな気にさせてくれた映画でした。



製作年:2023年
原 題:MAGIC MIKE'S LAST DANCE
製作国:アメリカ
監 督:スティーヴン・ソダーバーグ
時 間:112分


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映画:バビロン [映画]

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映画「バビロン」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:『セッション』『ラ・ラ・ランド』などのデイミアン・チャゼル監督が、1920年代のハリウッド黄金時代の内幕を描いたドラマ。サイレント映画の大スター、大胆不敵な新人女優、映画製作を夢見る青年が、サイレントからトーキーへと移り変わる激動の時代を生きる。出演は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』などのブラッド・ピットや『スーサイド・スクワッド』シリーズなどのマーゴット・ロビーのほか、ディエゴ・カルバ、トビー・マグワイア、キャサリン・ウォーターストン、オリヴィア・ワイルドなど。

あらすじ:1920年代のアメリカ・ハリウッド。スターを夢見る新人女優のネリー(マーゴット・ロビー)と映画製作を目指す青年マニー(ディエゴ・カルバ)は、大スターのジャック(ブラッド・ピット)が開いたパーティーの会場で出会い、親しくなる。恐れを知らないネリーはスターへの階段を駆け上がり、マニーもジャックの助手となる。そのころ、映画業界はサイレント映画からトーキー映画への転換期に差しかかっていた。


無声映画からトーキー時代へ移りつつある時代を背景に、ハリウッドを描いた映画です。

タイトルのバビロンは、繁栄と退廃の街ハリウッドを指すと思われますが、オープニングのパーティーシーンがその象徴ですね。
ドラッグもセックスもあふれていて、さらには死体が出てもまるで何事もなかったかのように日常が進んでいく。
映画撮影も同じ。

ブラッド・ピット演じる無声映画時代のスーパースター・ジャック。
女優になりたくて、チャンスを掴んでスターの階段を駆け上がるネリー・ラロイ。
二人とも、トーキー時代になって、時代に取り残され、落ちぶれていく境遇です。
映画に携わる仕事がしたくてがんばっているヒスパニックの青年マニー。
彼はおそらくトーキーへの変化にもしっかりついていけたのでしょうけれど、ネリーに惹かれてしまったことで道を踏み外してしまう。

コンプライアンスなんて概念のない、猥雑でいかがわしいとしか言いようのない、ハリウッド。
実際にそんな風だったのかどうかはわかりませんが、いかにもそうだったんだろうな、大変でもあるだろうけれどそこが魅力だったのだろうな、と後から勝手にこちらが考えてしまっている世界。
そんな世界に浸れましたし、トーキーという「音」も記録することになって現場が大きく変わり、混乱していく様子もとても興味深かったです。

しかし、しかし、しかし、長いんですよ、全体的に。なんといっても3時間超!
各シーン、各エピソードが長い。もっと切り詰めてほしかった。
映画の撮影シーンが長いのは、この映画としては絶対な必要な要素だからよいのですが、それ以外は長い。
冒頭のパーティからして、長い。
パーティといえば、のちに出資者たちによる”ブルジョワ”感満載の、いかにもいけ好かない感じの気取ったパーティが出てきますが、こちらも長い。
エンディングへ向けての山場となるトビー・マグワイア登場シーンも、サスペンスを盛り上げるところだと思うのですが、どうも間延びしてしまっています。

マニーが映画館へ行くラストシーンも、解釈はいろいろできると思うのですが、名作映画の切り貼りという手法自体がある程度手垢に塗れていると言わざるを得ないですし、将来の映画まで入れ込んでしまったことで、ここでいきなりメタ手法ですか、と見ていて少々びっくり。

世界に浸る楽しさを満喫しましたが、疑問の多い映画でした。
雰囲気に浸れたらそれで十分といえば十分なんですけどね。



製作年:2022年
原 題:BABYLON
製作国:アメリカ
監 督:デイミアン・チャゼル
時 間:189分


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映画:イニシェリン島の精霊 [映画]

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映画「イニシェリン島の精霊」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:『スリー・ビルボード』などのマーティン・マクドナー監督によるドラマ。島民全員が顔見知りであるアイルランドの孤島を舞台に、親友同士の男たちの間で起こる絶縁騒動を描く。キャストにはマクドナー監督作『ヒットマンズ・レクイエム』でも組んだコリン・ファレルとブレンダン・グリーソン、『スリー・ビルボード』などのケリー・コンドン、『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』などのバリー・コーガンらが集結。ベネチア国際映画祭コンペティション部門で最優秀男優賞と最優秀脚本賞を獲得した。

あらすじ:本土が内戦に揺れる1923年、アイルランドの孤島・イニシェリン島。島民全員が知り合いである平和な島で、パードリック(コリン・ファレル)は長年の友人であるはずのコルム(ブレンダン・グリーソン)から突然絶縁されてしまう。理由も分からず動揺を隠せないパードリックは、妹のシボーンや隣人ドミニクの助けも借りて何とかしようとするも、コルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と言い渡される。やがて島には、死を知らせると伝承される精霊が降り立つ。


アイルランド内戦当時の孤島を舞台にしています。美しいけれども、寒々とした島です。
コリン・ファレル演じるパードリックが、長年の友人であるコルムから突然絶縁を言い渡される。
いい年したおっさん二人の仲違いを描きます。

基本的にパードリックの視点で進んでいくので、コルムが極めて理不尽にうつります。
人生の残りを考えて、何かを残したい(具体的には作曲した曲)と、くだらない退屈な話しかしないパードリックとの交友を断って、作曲に専念したい、と。
うーん、なんだかな、という感じ。引き合いに出すのがモーツァルト。そんな天才級の作曲家とも思えませんが。
しかも、本気であることを伝えるために、「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」という。
あー、わけがわかりません。
パードリックに説明してもわからないだろうと思ったのでしょうが(実際に、パードリックはまったく理解しません)、極端すぎます。
実際に指を切り落とすんですよね、この人。
ここまで行くと、正直狂人の領域です。
自分を害するだけで、パードリックに害を与えようとはしていないところに、一抹の良心(?) が伺われますが、全体としてはやはり理解を超えちゃっていますね。

パードリックが警官に痛めつけられたとき、手を差し伸べるのがコルムというのも複雑で、感謝しているけれどそれを口にできない(話しかけるな、と言われているから)パードリックの混乱は迫ってくるものがありました。

至極閉鎖的な島(郵便局兼雑貨屋と思われるオバハンのいやらしさたるや...象徴的です)で、なんとかしようとして追いつめられていくパードリックが、飼っていたロバの死(投げ捨てられたコルムの指を食べて窒息死!)を契機に爆発を見せるという展開。
これはこれで行き過ぎ感あるのだけれど、愚鈍な存在として描かれているのがポイント。

コルムとパードリックの確執は、アイルランド内戦のメタファーだとされているようですが、アイルランド内戦ってこんな理不尽としかいいようのないきっかけだったのでしょうか?
イギリスによる搾取・支配、アイルランドの独立、宗教対立等々さまざまな要素があったのだろうと思われますが、そのメタファーにしてはこの二人の対立・関係は構図が重ならない気がしてなりません。

見ている最中も、観終わっても、もやもやしている点があり、それは予言の取扱い。
以下ネタバレになりますが、書いておきたいと思います。

「この島に二つの死(two deaths)が訪れる」と予言する謎めいた老婆が出てきます。
この予言が出てきたとき、コルムとパードリックの二人が相討ちのようなかたちで死ぬのかな、と想像したんです。
ところが劇中で死ぬのはドミニクという登場人物一人だけ(付け加えておくと、コルムもパードリックも死にません)。
字幕がどうだったのか記憶がないのですが、二つの死であって、二人の死ではないので、ロバがカウントに入っていると理解すれば予言は的中です。

話がそれますが、このドミニクの死も謎めいていまして、自殺、事故、殺人、いずれともつきません。
おそらくはパードリック以上に愚鈍で、父親である警官に(肉体的、性的)虐待を受けているという設定で、パードリックをいい人物、優しい人物と信じていたのに、コルムとの確執で変容していくパードリックを見限るという極めて重要な役どころです。

話を戻して、予言的中としてもすっきりしないんです。

というのも、この老婆、パードリックがコルムの家に火を放とうと出かけた際に、「犬に手をかけるんじゃない」と言っているのです。
パードリックは、もともと犬まで殺そうとしていなかったのでしょう(もともと愚鈍でも優しい人物として設定されています)、犬を自分の家に連れていき世話をします。
焼けてしまったコルムの家の前の椅子に、この老婆が腰かけているシーンもあります。
パードリックが犬を連れていくとは思っていなかったでしょうから、犬が生き残ればコルムが死なない可能性が高まると思っていたのかもしれませんし、ひょっとしたら、老婆は焼けている家からコルムを救い出したのかもしれません。
ロバの死を death とカウントするというのも不自然と言えば不自然です。
本来人間二人が死ぬという自らの予言が外れてしまうことを辞さず、老婆がコルムを救い、パードリックが人殺しになるのを救ったとも解釈できるのです。

さらには、やはりロバの死は death にカウントされるものだとして、本来ロバとコルムが死ぬべきところを、老婆が先回りしてドミニクを殺してコルムが死ぬのを阻止した、という解釈だってできます。

あるいは、本来ロバと犬が死ぬべきところ(ロバの死を death にカウントするのなら、犬の死もカウントしてよいはずです)、犬を救うことでコルムの死を促した(結果的にドミニクが死んだけれど)という解釈もあり得るでしょう。

こんなクネクネ考えてしまうのは、ミステリ好きの悪い癖だとは思いますが、理解を超えるパードリックとコルムの確執に、この予言、さらには、ロバは死んだのにコルムが死んでいないのは公平ではないとし、これが闘いの始まりだ、とパードリックがコルムに宣告するラストシーンが加わることで、いつまでもざらざらとした感触の残る映画となりました。



製作年:2022年
原 題:THE BANSHEES OF INISHERIN
製作国:イギリス/アメリカ/アイルランド
監 督:マーティン・マクドナー
時 間:114分


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映画:エンドロールのつづき [映画]

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映画「エンドロールのつづき」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:映画と出会ったある少年が、映画監督を目指すヒューマンドラマ。映画館でスクリーンにくぎ付けになった少年が、やがて映画を作りたいと思うようになる。監督などを手掛けるのはパン・ナリン。オーディションで選ばれたバヴィン・ラバリが主人公の少年を演じている。ナリン監督自身の実話を基にした本作は、第66回バリャドリード国際映画祭でゴールデンスパイク賞を受賞した。

あらすじ:インドの小さな町に住む9歳のサマイ(バヴィン・ラバリ)は、学業のかたわら父親のチャイ店を手伝っていた。ある日、家族と映画館を初めて訪れた彼は、すっかり映画に魅了される。ある日、映画館に忍び込んだのがバレて放り出されるサマイを見た映写技師のファザルが、サマイの母親の手作り弁当と引き換えに、映写室から映画を観ることを彼に提案する。


インド映画です。
上のあらすじを読んでいただくとわかりますが、インド版「ニュー・シネマ・パラダイス」。
これは観に行かなくては、と思い観に行きました。

映画愛に溢れた映画、であることは間違いないし、いい映画になっているとは思いましたが、やはり、どうしても「ニュー・シネマ・パラダイス」と比べてしまう。

インドの貧しい村の暮らし、美しい風景、ローカル駅の佇まい、映画へのあこがれ......見どころはたくさんあります。
映画好きが嵩じて、途中意外な展開を見せるところもあります。

映画の HP をみると、この映画はパン・ナリン監督自身をモデルにしているということで、であればそこにさらなる物語を求めることは慎むべきなのかもしれませんが、どうしてもね......

気になるのは、やはり現実の重さ、辛さ。
もともとバラモンに属しながら駅でのチャイ売りに身を落としている(と説明される)父親、あたらしい技術の前に処分される映写機やフイルム(と映写技師)
頼りとする駅すら広軌への切り替え列車が止まらなくなるという
町(村?)を出ろ、と主人公にいう教師は誠実なのでしょうが、やるせない気分にもなります。

監督自身の物語であることからもわかるように、主人公は映画の夢に向けて旅立っていくのですが、残された人々の暮らしがとても気になりました。列車が停車しなければ駅もなくなっちゃいますよね?
フイルムが形を変えるエピソードもエンディングにつながって、映画の夢を印象づけるものではあるのですが、個人的にはかえって寂しく感じました。

「エンドロールのつづき」と比べると、「ニュー・シネマ・パラダイス」はファンタジーだったのだな、と思います。
そして気づくのです。ファンタジーである「ニュー・シネマ・パラダイス」が好きだったのだ、と。

とはいえ、「ニュー・シネマ・パラダイス」と比べてどうこう言うのは余談でして、「エンドロールのつづき」はとても楽しく観ることができました。
よかったです。

最後にタイトルについて。
「エンドロールのつづき」という邦題はとてもよいタイトルだと思いました。
この映画のエンドロールの続きは、当然、パン・ナリン監督が生み出す数々の映画ということになるのでしょう。
パン・ナリン監督の作品を観たことはないのですが、そこに込められた夢を感じることができます。

一方で原題は「LAST FILM SHOW」。
最後の(フィルム)上映ですか。
となるとこれは、劇中に出てくる非常に印象的な上映会のことを指すはず。
あの上映会は、主人公の映画への情熱の一つの頂点であり、映画を楽しむことの喜びに満ち溢れていましたと同時に、主人公の転機をもたらすきっかけでもありました。
こちらもいいタイトルだと思います。



製作年:2021年
原 題:LAST FILM SHOW
製作国:インド/フランス
監 督:パン・ナリン
時 間:112分


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映画:アバター:ウェイオブウォーター [映画]

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映画「アバター:ウェイオブウォーター」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:ジェームズ・キャメロン監督によるヒット作の約13年ぶりの続編で、第1作の10年後を描いたSF大作。神秘の星パンドラに人類が再びやってきたことから、パンドラの森で平和に暮らしていた元海兵隊員と先住民の女性たちが海へと逃れる。前作と同じく監督をキャメロンが務め、前作同様元海兵隊員をサム・ワーシントン、先住民の女性をゾーイ・サルダナが演じ、シガーニー・ウィーヴァーなどが共演する。

あらすじ:神秘の星パンドラ。元海兵隊員のジェイク(サム・ワーシントン)は先住民ナヴィの女性ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と結ばれ、子供たちをもうけ、幸せに暮らしていた。しかし、ジェイクたちは再びパンドラに現れた人間たちに森を追われてしまい、海の部族のもとに身を寄せる。だが、その美しい海にも侵略者が接近していた。


注目の話題作ですよね。
前作「アバター」は2009年の公開だったのですね。あれから13年ですか。
ストーリーなんかはすっかり忘れていたのですが、問題ないですね。

今回の舞台は、タイトルからもわかるように海。
ひたすら美しい、水上も水中も、海の風景が広がります。
そしてアバターシリーズの特徴である、風変わりな生物たち。

でもね、失礼ながら、それだけなんですよ。

美しい映像で綴られる物語が、陳腐この上ない。
3時間以上にもなる長さを支え切るだけのストーリーはありません。
ふたたび人間がやってきて襲われて、逃れて、海辺の種族に匿ってもらって、馴染んでいって、そこへ人間が再びやってきて、やっつける。

沈みゆく船での闘いは「タイタニック」を連想させるためでしょうか。
戦闘シーンもそれなりに迫力はあるのですが、アバター対アバターという構図は、観客の没入感を削いでしまっている気がします。我がこととしてひきつけにくいというのか。

この上なく美しい映像で、この上なくありきたりのストーリーを綴った映画という整理ですね。
陳腐なストーリーも好物なので、個人的にはこれはこれでOKだったのですが、それでもちょっと長すぎますね。

映像の美しさだけでも観る価値は十分あるとは思いますが、総合力を考えるともったいない映画だな、という気がしてなりません。



製作年:2022年
原 題:Avatar: The Way of Water
製作国:アメリカ
監 督:ジェームズ・キャメロン
時 間:192分


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映画:ザ・メニュー [映画]

ザ・メニュー.jpg


映画「ザ・メニュー」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用します。

見どころ:孤島の高級レストランで振る舞われる極上メニューに隠された秘密を描くサスペンス。監督はドラマシリーズ「シェイムレス 俺たちに恥はない」などのマーク・マイロッド、製作には『バイス』などのアダム・マッケイらが参加。シェフを『グランド・ブダペスト・ホテル』などのレイフ・ファインズ、店を訪れたカップルを『ラストナイト・イン・ソーホー』などのアニャ・テイラー=ジョイと『トールキン 旅のはじまり』などのニコラス・ホルトが演じるほか、ホン・チャウ、ジャネット・マクティア、ジョン・レグイザモらが共演する。

あらすじ:予約が取れないことで有名なシェフ(レイフ・ファインズ)が提供する極上メニューを目当てに、孤島のレストランを訪れたカップル(アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト)。素晴らしい料理の数々にカップルの男性が感激する一方で、女性は言いようのない違和感を抱く。店内が不穏な様相を帯び始める中、シェフ自慢のメニューには、思いも寄らないサプライズが用意されていたのだった。

映画のHPのあらすじの方がぴったりかもしれません。
太平洋岸の孤島を訪れたカップル(アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト)。お目当ては、なかなか予約の取れない有名シェフ(レイフ・ファインズ)が振る舞う、極上のメニューの数々。 「ちょっと感動しちゃって」と、目にも舌にも麗しい、料理の数々に涙するカップルの男性に対し、女性が感じたふとした違和感をきっかけにレストランは徐々に不穏な雰囲気に。 なんと、一つ一つのメニューには想定外の “サプライズ” が添えられていた…… 。果たして、レストランには、そして極上のコースメニューにはどんな秘密が隠されているのか?そしてミステリアスな超有名シェフの正体とは……?

シェフ演じるレイフ・ファインズ、見た顔だなぁと思いつつ何に出演していたのか思い出せませんでしたが、「グランド・ブダペスト・ホテル」(感想ページはこちら)と「キングスマン:ファースト・エージェント」(感想ページはこちら)というタイトルで、ああ、と思いました。
また同様に主演の若い女性を演じるアニャ・テイラー=ジョイも何に出てたか思い出せていなかったのですが、「ラストナイト・イン・ソーホー」(感想ページはこちら)ね!


料理人をめぐる奇妙な話だと、小説ではハリー・クレッシングの「料理人」 (ハヤカワ文庫)があります。
趣向は違いますが料理ということでは、ミステリの世界ではスタンリー・エリンの「特別料理」 (ハヤカワ・ミステリ文庫)をはじめとするあるジャンル(?) があり、そういう話なのかな、と予想しつつ観に行ったのですが......
いやいや、それどころではない奇天烈な映画でした。

ただ、想像の翼を拡げきっていないというか、個々のアイデアが存分に生かされているかというと不発に終わっているものが多いような気がしました。
また、衝撃的なシーンや強烈な登場人物がちりばめられているのですが、それぞれが単発のエピソードにとどまっていて、一体感がないというのか、コース料理というより、個々の好き勝手な料理が並んでいる、とでもいいたくなるような感じを受けました。
それこそ、当代一流のシェフによる練りに練ったメニューであるはずなのに......本当に、何がしたかったのでしょう?

物語の異分子と(早々に)判明するアニャ・テイラー=ジョイの扱いもそうですね。
彼女が反撃(?) に打ってでるシーンはとてもおもしろかったのですが、その後の展開が今一つピンと来ない。
このおさまりの悪さこそが特徴なのかもしれませんが。

でも、つまらないわけでは決してありません。
不思議な感じで楽しく観終わりました。
なんだか最近変な映画ばかり立て続けに見ている気がします(笑)。


製作年:2022年
原 題:The Menue
製作国:アメリカ
監 督:マーク・マイロッド
時 間:108分


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映画:未来惑星ザルドス [映画]

未来惑星ザルドス.jpg


映画「未来惑星ザルドス」の感想です。

いつものようにシネマ・トゥデイから引用しようと思ったのですが、ページが見つからない。古い映画だからでしょうか。
かわりに、映画.com から解説を引用します。
「脱出」などで知られるイギリスの巨匠ジョン・ブアマンが、ショーン・コネリーを主演に迎えたSF映画。

2293年、人類は不老不死の社会を実現した。永遠の命を持つ特権階級のエターナルズは、荒廃した外界から隔絶された透明ドームの中で優雅な暮らしを送っている。彼らは空飛ぶ巨大神像ザルドスを建立し、それを神と崇める撲滅戦士・エクスターミネーターズを操って、外界で暮らす獣人・ブルータルズの搾取と殺戮を続けていた。ある日、エクスターミネーターズのリーダーであるゼッドが、ザルドスの中に身を隠してドーム内に潜入する。

共演は「愛の嵐」のシャーロット・ランプリング。スタンリー・キューブリック監督がクレジットなしでテクニカルアドバイザーとして協力し、「2001年宇宙の旅」のジェフリー・アンスワースが撮影を手がけた。

映画のHPからも引用してみます。
不老不死のユートピアに放たれた撲滅戦士
― 男は反逆者か、解放者か

2293年、人類は不老不死の社会を実現。特権階級の永遠人(エターナルズ)たちは、外界から隔絶された透明ドーム(ボルテックス)の中で平和で優雅な毎日を過ごしていた。彼らは空飛ぶ巨大神像ザルドスを建立、それを崇める撲滅戦士(エクスターミネーターズ)たちを操り、荒廃した外界に棲む獣人(ブルータルズ)たちの搾取と殺戮を続けている。だがある日、撲滅戦士のリーダー、ゼッドは、着陸したザルドスの口内に身を隠し、ドーム内に潜入。ザルドス=神の忠実な下僕だったはずのゼッドの目的とは一体?

かのキューブリックも協力した、
巨匠ブアマン×初代「007」ショーン・コネリーの先鋭的SF

『未来惑星ザルドス』は、前作『脱出』が大ヒットし、アカデミー作品賞、監督賞候補となった英国の巨匠ジョン・ブアマン、自ら製作・脚本も兼任、その驚異的なイマジネーションを余すことなく解き放った結果、人類の恐るべき未来を予見してしまったとてつもないSF巨篇。主演は、初代「007」のショーン・コネリー。弁髪、胸毛に赤ふんどしー半裸で大地を駆けるその雄姿によって、ボンド俳優のイメージを一新した。共演は『愛の嵐』のシャーロット・ランプリング。性を超越したクールな美貌は、まさにキャリア絶頂の美しさ。

映画化に際し、【生と死】【神と人間】【愛と性】【自然と文明】など、自作『2001年宇宙の旅』にも通じるテーマに興味を抱いたスタンリー・キューブリック監督は、ノンクレジットでテクニカル・アドバイザーとして協力。『2001年~』の名カメラマン、ジェフリー・アンスワースの抜擢など、さまざまな便宜を図ったという。憤怒の形相で地上に君臨する巨大神ザルドスの強烈造形、合わせ鏡の無限反射、サイケデリックな投射イメージ、『テネット』でも多用された逆転撮影など、ブアマンとアンスワースが映像表現の原初に立ち返ったトリック撮影も大きな見どころだ。だが、永遠の生よりも死を讃える先鋭的メッセージを突きつけるこの作品は、初公開時、一部の批評家と観客を除き、まったく理解されなかった。それから約半世紀、今も評価は揺れ続け、世界中で論議が絶えないSF映画史上屈指の問題作として孤高の地位を保っている。地球温暖化と異常気象、感染症の蔓延、終わりなき戦争、ヘイトと差別、社会を分断する格差、そして政治と宗教が癒着した全体主義―すでにディストピアと化した21世紀に生きる我々の眼に、23世紀のユートピアはどのように映るだろうか。

いやあ、変な映画観たなぁというのが正直な感想です。
変な、といってもネガティブな印象はなく、ピュアに変。
ショーン・コネリーって、こういう映画にも出ていたのですね。

設定といい、映像といい、ちっともリアルではないのに、なぜか真に迫るような気配を感じる映画でした。
逆に、観るほうに配慮したのか、わかりやすいエンディングになっていることが驚きでもあります。

惑星ザルドスの "Zardoz" 自体が寓話的な由来でできてはいるのですが(とはいえ、この名前ショーン・コネリーに対しては説得力があるとは思いましたが、そもそものネーミングとしてはあり得ないのでは?と感じてしまいましたが)、深遠なテーマとか寓意とか無理して読み取ろうとせず、そのまま感じればいいような気がします。
この作品で展開されているイメージ群は、映画や小説でわりとよく見聞きするもので、おそらくこの作品が多大なる影響を与えてきたのでしょうね。

個人的には森博嗣のWシリーズ、WWシリーズを思い浮かべながら観ました。




製作年:1974年
原 題:Zardoz
製作国:アメリカ・イギリス・アイルランド
監 督:ジョン・ブアマン
時 間:106分
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