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伯林星列 ベルリン・コンステラツィオーン [日本の作家 な行]


伯林星列 上 (徳間文庫)伯林星列 下 (徳間文庫)伯林星列 下 (徳間文庫)
  • 作者: 野阿 梓
  • 出版社/メーカー: 徳間書店
  • 発売日: 2011/05/07
  • メディア: 文庫


<カバー裏あらすじ>
一九三六年、ベルリン。留学中の十六歳の少年、伊集院操青は、叔父継央の歪んだ欲望の魔手に堕ちた。娼館に身を落とされ、若く美しい肉体にあらゆる性技を調教されることとなる。一方、二・二六事件が「成功」した日本では、内閣参議となった北一輝が元衆議院議員の黒澄幻洋に独ソ関係の調査という極秘任務を与え、ベルリンに派遣する。異才が満を持して放つ、最高の問題作品。<上巻>
黒澄は操青に告げる。君は生きた貢ぎ物になるのだ。身につけている技倆――性技を最大限に発揮して、私の目的のために活かしてもらう……。少年はその若さで絶望を知り、哲学的諦観を知っていた。大戦前夜。軋む列強の関係。ナチス内部の権力闘争。日本政府を掌握した皇道派と北一輝の思惑。暗躍するイギリス、ソ連の特務(スパイ)たち。時代の波に翻弄され続ける操青の運命は……!? <下巻>


野阿梓を読むのは久しぶりですね。
「兇天使」 (ハヤカワ文庫JA)(感想ページはこちら)以来、およそ8年ぶりです。
「兇天使」も、かなりがんばって読んだ感がありましたが、この「伯林星列」(上)(下) (徳間文庫)もがんばって読みました。正直いうと、相当苦労して読みました。

趣味が違う、ということなのでしょう、少年操青(みさお)の調教シーンが延々と続きまして、読むのがつらかった......
被虐、S&M、何と呼ぶのが適切なのか、ぼくにはわかりません。
物語上の要請は確かにあるのかもしれませんが、ここまで長々と繰り広げられるとちょっと堪らないですね。
しかも、事実なのか作者の創作なのかわかりませんが、
「ズクが属しているキクユ族の習俗の一つであった。少年時に、成人儀式の割礼(ベシュナイドゥング)のさい、亀頭包皮の上部のみを切りとり、下部は残すのである。その結果、彼らの陽物は異形をたもちながら発育する。すなわち亀頭下に異貌の肉垂れが下がっている形となるのだ。」(99ページ)
などとされている登場人物ズクが責め手として登場し、いや本当に読むのがつらかった。
(ちなみに、キクユ族というのはアフリカ東部、現在のケニアを中心とした地域に住む民族で、実在するようです)
この不思議な割礼はラストでも再び登場し、読者に強いインパクトを残すことになっています。
「まろびでた陽物(ファラス)は、まだ完全には怒張していなかったが、少年との情交への期待にか、すでに半ば弩形(ゆみなり)に反った亀頭下部から陰嚢にいたるまで、薔薇色と赤紫色とが斑になった、ある種の蜥蜴の肉垂れにも似た、鋸歯状の皮膜が垂れ下がっていたのである。」(396ページ)
うーん、まったくイメージできません。どういう形なんだろ?

この操青のエピソードがかなりの比重を占めているのでつらかったわけですが、このパート以外の部分は、二・二六事件が成功した日本を背景に、第二次世界大戦の行方がドイツを中心に描かれます。
ミューラーやアイヒマン、ハイドリヒという実在の人物も活躍(?) しますし、ベルリン・オリンピックなども印象的に登場します。
ソ連とドイツの駆け引きや戦況をめぐる各国の思惑が交差する展開は、面白かったですね。
こういうフィクションは好みなので、この部分だけで通してほしかったと思ってしまいましたが、それでは野阿梓の作品である意味がないのでしょうね......

また、第二次大戦ごろのドイツを舞台にしていますので、ユダヤ人問題から逃れることはできません。
「おそらく西欧社会には知られていないが、ユダヤ人社会の中にも根強い差別があるのだ。
 欧州、特に独逸や東欧諸国に住む東方ユダヤ人(オストユーゲン)はアシュケナージと呼ばれ、一般的にナチスの宣伝で、悪趣味な画などによって 戯画的に描かれる白人系ユダヤ人は、これである。
 だが、アシュケナージは、宗教的にはともかく、人種的には(ナチスの人種差別主義(ラシスムス)には皮肉にも反して)純正ユダヤ人ではない。すなわち、古代パレスティナの力国家喪失による民族乱離の道をたどって世界中に散らばった「旧約聖書」の民、セム族の末裔ではないのだ。そもそも、アシュケナージは、純正ユダヤ人が聖典としている「旧約聖書」「ゾハール」「タルムード」のうち、「タルムード」しか読まない。」(351ページ)
などという記載もあり、知らなった身にはたいへん勉強になりましたし、ユダヤ人問題が複雑であることをあらためて知る機会にもなりました。

タイトルの意味は、最後にわかるようになっています。
「うわべは関係のない人々が出会い、何ごとかをなし、そして別れてゆく。あたかも星座のように、実際には果てしもなく遠い距離をおいて互いに離れていたはずが、角度をかえてみれば、それは一つの関係に見えてしまうのだ。思えば、われわれもまた、この伯林という都市でそのようにして出会い、関係を持ち、そして別れてゆく宿命だったのかも知れぬな。地上の、伯林の星列(ベルリン・コンステラツィオーン)とは、きっとそのようなものなのだろう。」(380ページ)
これまでの来し方を考えると、感慨深い黒澄のセリフなのですが、黒澄と操青については離れているのではなく、実際に交差しているので、ちょっとたとえとしては適切ではないのではなかろうか、と思ってしまいました。

上下巻あわせて800ページを超える大作で力作なのだとは思いますが、残念ながら、趣味に合いませんでした......


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