この世にひとつの本 [日本の作家 門井慶喜]
<カバー裏あらすじ>
高名な書家・幽嶺が、山奥の庵から忽然と消えた。後援する大塔印刷では、御曹司の三郎へと捜索の命を下す。だが、工場でも病死者が相次ぐ異常事態が。これは会社の存亡の危機だ! いささか頼りない三郎が、社長秘書・南知子と、史上最速の窓際族・建彦と両方の事件を探りはじめると、一見無関係なふたつが、ある貴重な書物へとつながっていき──。文字と稀覯書をめぐるミステリ。
このところ流行のよくあるビブリオ・ミステリ──かと思いきや、違います。
書家が出てくることからお分かりかもしれませんが、われわれが通常慣れ親しんでいる本ではなく、
「朱色の軸に濃紺の神を幾重にも巻きつけ、褾帯(ひょうたい)と呼ばれる幅の広いひもで締めた、いわゆる巻物の仕立てだ。円筒状のかたちの巻物の中央上部には小さな題簽(だいせん)が貼られ、
源氏物語 巻四十二 幽嶺寫
と楷書に近い字体で筆書されている。」(142ページ)
というところもあるように、巻子本の方に焦点があります。
書には親しんでいないので、まったく未知の世界。
(海外の)美術館に展示してあることがあっても、さっと眺めておしまい。
「そもそも近代の散文というのは、情報を伝達するとか、論理を繰り広げるとか、鮮烈なイメージを呈示するとか、読者の同情を買うとか、いろいろ目的があるものなのでしょうけど、いずれも字そのものが読者の理解をさまたげることはないという信頼のもとに書かれている点では共通しています。当たり前の話です。けれども書という芸術はそんな信頼には応じられない。いっぽうに字の意味があり、もういっぽうに読者の理解があるとしたら、そのあいだに進んで割りこみ、字そのものの姿かたちの鑑賞を激しく主張するのが書なんだから」(158ページ)
というところで蒙を啓かれた思い──といいつつ、書を見に行ったりはしていないのですが。ただ、もし見に行くことがあれば、おそらく今までとは違う見方をするのでしょう。何を感じ取れるのか、自信はないですが。
この本、というか書の世界ともう一つ、物語を牽引するのは工場での異常な事態。
こちらはさほど意外ということでもないのですが、全く隠されていない堂々とあからさまなパーツから予想外のところへ進んでいく物語にビックリ。
両者が絡み合って、そんなことを企んでいたとは。
とても楽しく読めました。
今やすっかり時代小説の作家さんになった感があるのですが、ときどきはミステリもお願いします。
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