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死の実況放送をお茶の間へ [海外の作家 ま行]


死の実況放送をお茶の間へ (論創海外ミステリ215)

死の実況放送をお茶の間へ (論創海外ミステリ215)

  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2018/10/05
  • メディア: 単行本

<帯から>
生放送中のTV番組でコメディアンが謎の怪死を遂げる。犯人は業界関係者か? それとも外部の犯行か?


2023年6月に読んだ4冊目の本です。
単行本です。論創海外ミステリの1冊で、パット・マガー「死の実況放送をお茶の間へ」 (論創海外ミステリ215)

なかなか事件は起きないのですが、当時のアメリカのTV制作の舞台裏を見る感じがとても興味深く、楽しかったです。
著名なコメディアンのポッジ、その元妻で暴君的なスコッティ、飛躍するチャンスをつかもうと躍起の出演者たち。
語り手である雑誌調査係のわたしメリッサのジャーナリズム学部生時代の同級生で番組担当アナウンサーのデイヴ・ジャクソン、プロデューサーに、いかにもTV業界にいそうなディレクターに野心に燃えるオーケストラの指揮者。

人気者であるポッジをめぐって、みんなの邪魔者的存在であったスコッティを出し抜いて取り込もうという面々と、それに負けじと対抗してくるスコッティ。
よくある話といえばよくある話でしょうが、多彩な登場人物で飽きさせません。

生放送中のTV番組中で起こる事件ということで、非常にセンセーショナルなものです。
事件が起こってからは、物語のテンポがアップします。
畳みかけるように話が進み、一気に解決シーンにもつれ込んだ印象で、このテンポも悪くなかったですね。

トリッキーな謎解きではありませんが、登場人物の性格にしっかり寄り添ったプロットになっていて(戯画的なところはありますが)、安心して読めるものでした。

メリッサとデイヴのやりとりも、なんだか時代を感じさせて楽しかったです。
ここまでが作品の感想ですね。

訳者は、E・C・R・ロラック「殺しのディナーにご招待」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)と同じ方ですが、引き続きレベルの低い翻訳を提供してくださっています。
下の蛇足で気づいた点からいくつか。

<蛇足1>
「今は、放送中じゃないだよ、かわい子ちゃん」(28ぺージ)
誤植でしょうか? ないだよ、とは変な言い回しです。

<蛇足2>
「早口の口上であたしをのし上げてくれるっていう大風呂敷を敷いたままじゃないの。」(28ページ)
大風呂敷は確かに敷くことも可能ですが、言い回しとしては大風呂敷は広げるものではないでしょうか?

<蛇足3>
「不在所有者だったジャクソンが、愛想のいいホスト役を務める準備ができたようだよ。」(34ページ)
不在所有者とはどういう意味でしょう? しばらく考えましたが、わかりませんでした。

<蛇足4>
「俺の時代にゃ、銅板印刷だったってのに」(35ページ)
銅版印刷、でしょうね。

<蛇足5>
「彼女は、ホッジに無理強いしないほうがいいときと場合をわきまえてる。俺も、ヴィヴにあれだけの手腕があればな。」(61ページ)
「俺も」がなければ素直に意味がわかるのですが。
どういう意味、主旨の文章なのでしょう?

<蛇足6>
「あなたは、作家やディレクターよりもずっと多くを台本に加味できるんですもの。ネタはあまり面白くなくても、あなたなら、面白そうに見せられる。そして、そのことのほうが、コメディの台詞をかけることよりも重要です。タレントであって、芸能界では、ほかの何よりも価値があるんです」
「タレントねぇ」その言葉は、彼にほとんど満足感を与えなかったようだ。「そうかもしれない。だけど、問題は──俺が、どの程度のタレントなのか、スコッティが、どれだけの物を考えて作り上げたか?」(81ページ)
英語の talent は才能ある人という意味で、日本語でいうタレントとは意味が異なりますので、ここは誤訳と言わざるを得ないと思います。

<蛇足7>
「カメラやマイクのブームが入り込んで」
ブームがわからなかったので調べました。
撮影や収録スタジオで、マイクロフォンなどを出演者の声の届く範囲で、カメラの収録する範囲の外(主に上方)に配置できるようにした、吊り下げる装置。先端にマイクロフォンをつけ、反対側の端にはバランスのとれるように、おもりをつけている。

<蛇足8>
「わたしは、コートを脱いで窮屈な座席に落ち着こうとしている視聴者をガラス越しに見つめていた。」(141ページ)
ここは、わたしが調整室から撮影現場を見ているところです。
間違いとまではいえないのでしょうが、ここは視聴者ではなく、観客の方が親切かと思います。
すぐあとに、番組参加視聴者という語も出てはきますが、一般に視聴者というとテレビの前にいる人たちのことを指してしまうように思います。

<蛇足9>
「するとデイヴが、幕の後ろから現れたが、わたしは、彼が司会者らしくわざと人当たりよくしているのにはほとんど気づかなかった。」(141ページ)
一人称の記述で、わたしが気づかなかったことをどうして書けるのでしょう??
これ、原文を当たる必要がありますが、まず間違いなく誤訳ですね。

<蛇足10>
「舞台上の人たち──カメラマン、ブームマイクのオペレーター──や、隣でボタンを押したり、レヴァーを捜査したりしているテクニカルディレクターにマイクを通して話しているのだ。」(142ページ)操作、ですね。

<蛇足11>
「それと同時に監察医が、『到着時にすでに死亡』の裁断を下していた。」(149ページ)
監察医がする行為は、科学的事実を突き止めることなので、「裁断」ではないと思います。
  
<蛇足12>
「フルーティーファイヴだ。それでも、番組を長くやってきて、彼にも味はわかっただろうから、ニコチンが、六番目の旨味には思われなかったはずだ」(151ページ)
5種類のフルーツをミックスした飲み物、ということで、入れられた毒であるニコチンは6番目というわけですが、この場合、おそらく原語は taste だと思うのですが、訳は旨味ではなく、単純に味とした方が適切ではないかと思います。




原題:Death in a Million Living Room
著者:Pat McGerr
刊行:1951年 
訳者:青柳伸子







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