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モダンタイムス [日本の作家 伊坂幸太郎]


モダンタイムス(上) (講談社文庫)モダンタイムス(下) (講談社文庫)モダンタイムス(下) (講談社文庫)
  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/10/14
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
恐妻家のシステムエンジニア・渡辺拓海が請け負った仕事は、ある出会い系サイトの仕様変更だった。けれどもそのプログラムには不明な点が多く、発注元すら分からない。そんな中、プロジェクトメンバーの上司や同僚のもとを次々に不幸が襲う。彼らは皆、ある複数のキーワードを同時に検索していたのだった。<上巻>
5年前の惨事──播磨崎中学校銃乱射事件。奇跡の英雄・永嶋丈は、いまや国会議員として権力を手中にしていた。謎めいた検索ワードは、あの事件の真相を探れと仄めかしているのか? 追手はすぐそこまで……大きなシステムに覆われた社会で、幸せを掴むには──問いかけと愉(たの)しさの詰まった傑作エンターテイメント!<下巻>



2023年7月に読んだ7作目の本(冊数でいうと7冊目と8冊目)です。
伊坂幸太郎の「モダンタイムス」(上) (下) (講談社文庫)
上で引用した旧版で読みました。2023年2月に新装版が出ています。

モダンタイムス(上) 新装版 (講談社文庫)モダンタイムス(下) 新装版 (講談社文庫)モダンタイムス(下) 新装版 (講談社文庫)
  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/02/15
  • メディア: 文庫


もともとは読了本落穂ひろいのつもりでした。
手元の記録では2016年5月に読んでいます。
でも上で引用したあらすじを読んでもまったくピンと来ない。本を手に取ってパラパラと読んでみてもまったくピンと来ない。
そこで、本腰を入れて読むことにしました。
読了しても、以前に読んだことをまったく思い出せませんでした......なんという記憶力のなさ。

伊坂幸太郎の本なのでいつものことで、とても面白いのです。
しかもこの作品で描き出されている世界観に共感することが非常に多く、これを忘れ去ってしまっているなんて自分が信じられないくらいです。
このブログにはアップしていませんが、手元の記録ではこの本を2016年に読んだ本のベスト10に入れているというのに......

タイトルの「モダンタイムス」というのは、チャップリンの映画から来ており、
「私の脳裏には、昔、祖父の家で見たとてつもなく古いサイレント映画、確か、『モダン・タイムス』というタイトルだったと思うが、その場面が映し出された。産業革命により、工場が機械化され、人間が翻弄される話だった。」(上巻277ページ)
として引用されます。
タイトルに採用されているだけに、本書の内容を象徴するようなものなのですが、機械化、システム化を念頭に置いたものです。

それと相前後して、ギュンター・アンダースがナチス・ドイツのアイヒマンの息子に送った書簡にも触れられます。
「アンダースの書簡に頻繁に出てくるのは、『怪物的なもの』と『機械化』だ」
「何百万にものユダヤ人を良心の痛みすら感じず、工場で商品を作るみたいに、次々と殺害したという事実、そのことを怪物的なものって言ったんだ。その怪物的なことがどうして実行可能だったのか、といえば、それは、世の中が機械化されているからだって話だ」(上巻277ページ)
「たくさんの部品を製造して、管理機構を作って、最大限の効率化をはかる。技術力、システム化が進む。すると、だ。分業化が進んで、一人の人間は今、目の前にあるその作業をこなすだけになる。当然、作業工程全体を見渡すことはできない。そうなるとどうなるか分かるか」
「つまり、想像力と知覚が奪われる。」(上巻278ページ)

これと密接に絡んでくるのが、国家、です。
「国家ってのは、国家自体が生き長らえることが唯一の目的なんだ。国民の暮らしを守るわけでも、福祉や年金管理のためでもない。国家が存在し続けるために、動く。」(上巻279ページ)
この国家観、個人的には非常にしっくり来ます。
国家という規模にまで至らなくとも、会社であっても、同様にまるで一個の意識体のように自らの存続を図っていくものだ、とは常々感じているからです。

主人公渡辺拓海の友人である小説家・井坂好太郎の小説「苺畑さようなら」の作中で語られる(アメリカのある研究家の言葉として出てきます)
「アリは賢くない。でも、アリのコロニーは賢いのよ」
というセリフ中のコロニーは、人間でいう国家に対応するものと考えることもできますが、アリが意識を持たないものであることを前提とすると、国家、というよりももっと漠としたシステムと捉えるべきなのかもしれません。
システムというと機械的なものを連想しがちですが、作中にも触れられていますが、もっと漠然とした ”仕組み” ですね。

国家とこの ”仕組み” が時に重なり、時にずれて立ち現れるのが人間社会、というように捉えました。
「システムは定期的に、人間の個人的な営みを、国家のために捧げるように、調節を行うんだ」
「指導者の登場はその一例だ。一人一人の自我が強くなり、自由が蔓延していけばいくほど、システムは機能しなくなるだから定期的に、個人よりも大きな仕組みがあることを、その存在感を主張しなくてっはいけない。国家は、国民に認識されるために、運動を続けるんだ。周期的に、自分の存在を強烈にアピールする」(下巻331ページ)

「『どうすることもできない』仕組みを、娯楽小説の形で表現できた」と文庫版あとがきで作者自身が書いているように、これこそが本書のテーマで、それが楽しい娯楽小説として提示されていることに非常にわくわくできます。
とても楽しい。

この物語のラストが気に入らない読者もいらっしゃることでしょう。
これでは解決策としては機能しないと思われるからです。
でもこの物語のラストは、こうでなければならない、と思います。安易な解決策はふさわしくない物語になっていると感じます。

それにしても、主人公渡辺拓海の妻とは何者なのでしょう?
そちらの方が気になったりして......

それにしても、こんなに面白い本を読んだことを忘れているなんて自分でも呆れるしかないですが、もの忘れがひどい自分に感謝することにしましょう。
なんといってもこれだけの傑作を、まっさらな気持ちで二度も楽しくことができたのですから。


<蛇足1>
「小説にとって大事な部分ってのは、映像化された瞬間にことごとく抜け落ちていくんだ」(上巻200ページ)
作中の作家・井坂好太郎のセリフです。
同じページで
「映画の上映時間を二時間とするだろ。その二時間に、一つの物語を収めようとする。そうするとどうするか」
「まとめるんだよ。話の核となる部分を抜き取って、贅肉をそぎ落とす。そうするしかないわけだ」「粗筋は残るが、基本的には、その小説の個性は消える」
とも言っています。

<蛇足2>
「いいか、小説ってのは、大勢の人間の背中をわーっと押して、動かすようなものじゃねえんだよ。音楽みてえに、集まったみんなを熱狂させてな、さてそら、みんなで何かをやろうぜ、なんてことはできねえんだ。役割が違う。小説はな、一人一人の人間の身体に沁みていくだけだ」
「沁みていく? 何がどこに」
「読んだ奴のどこか、だろ。じわっと沁みていくんだよ。人を動かすわけじゃない。ただ、沁みて、溶ける」(下巻193ページ)
こちらも井坂好太郎のセリフです。
「沁みて、溶ける」にグッときました。

<蛇足3>
「今やそのシステムが、特定の検索を行った人間を甚振るためにも利用されている。」(下巻338ページ)
「マリアビートル」 (角川文庫)(感想ページはこちら)にも同じことを書いたのですが、いたぶるって、こういう字を書くんですね。
どうも記憶に定着しないようですので、また同じことを伊坂幸太郎の本を読む際に思ってしまいそうです。





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