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殺人者と恐喝者 [海外の作家 カーター・ディクスン]

殺人者と恐喝者 (創元推理文庫)

殺人者と恐喝者 (創元推理文庫)

  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2014/01/30
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
余の出生は一八七一年二月六日、サセックス州――ヘンリ・メリヴェール卿の口述が始まった。心打たれる瞬間である。しかしその折も折、変事が突発した近傍のフェイン邸へ出馬を要請する電話が入った。家の主人が刺されて亡くなり、手を下した人間は判っているが状況は不可能を極めているという斗柄もない事件である。秘書を従え捜査の合間も口述を進めるH・Mの推理は如何に。


2021年10月に読んだ8冊目の本です。
この作品、原書房から森英俊訳で出ていた単行本「殺人者と恐喝者」 (ヴィンテージ・ミステリ・シリーズ)で読んでいます。新訳なって再読です。

H・M卿の自伝の口述筆記とかいうおふざけ(失礼)で度肝抜かれますが、そんなの売れるんですかね(これまた失礼)?
筆記者であるフィリップ・コートニーが途中で、「誹謗や醜聞、それに悪趣味な箇所を除くと、出版できそうなのは全体のおよそ五分の一」(178ページ)なんて考えてしまうくらいですからね。
(まあ、H・M卿ご自身によって見事に脚色された自伝を読まずとも、ディクスン・カーのおかげでかなりいろいろと楽しませてもらっていますが)

さて、ミステリとしては、実は以前読んだ時、あまりいい印象を抱いていませんでした。

本物とすり替えられたゴムの短剣により、催眠術の実験中に人が殺されてしまうが、すり替えるチャンスのあったものがいない、という事件を扱っているのですが、このトリックに使われる小道具があまりにも....というものだったからです。
いや、これはもうバカミスの領域ですよ。
こういうのでも作品に仕立ててしまうカー(カーター・ディクスン)はすごいのですが、さすがにこれはちょっとねぇ、と。

今回再読してみて、このトリックには相変わらずずっこけてしまうことを確認しましたが(笑)、この作品はこれによりかかった作品ではなく、ちゃんと読みどころを押さえられていなかったことに気づきました。

カーは不可能犯罪に強い作家ですが、それと同時に犯人の隠し方が非常にうまい作家でして、この作品でもその手腕は遺憾なく発揮されています。そこがポイント!
いろんな隠し方をカーは編み出してきているのですが、この「殺人者と恐喝者」 ではクリスティを彷彿とさせると言ったら両方のファンから叱られるかもしれません。でも、本当にクリスティを連想したのです。
破壊的なトリックに気を取られすぎて、この勘所に反応しなかったとは、ミステリ読みとしてまだまだ未熟だなと反省しました。

それにしてもマスターズ警部は、
「卿が首を突っ込んだ事件に限っては、私はローマ法王だろうがカンタベリー大司教だろうが、誰ひとり除外するつもりはありません。この人物が犯人であるはずはないと考えると、いつだってそいつが犯人だった、となるんですからな。」(194ページ)
なんてセリフが出てくるなんて、かなりこなれてきましたね。



<蛇足1>
引用したカバー裏あらすじに出てくる「斗柄もない」、初見でした。
調べてみると、斗柄でない、と使うこともあるようですね。
軽率なこと。途方もないこと。のようです。





原題:Seeing is Believing
著者:Carter Dickson
刊行:1941年
訳者:高沢治



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