櫻子さんの足下には死体が埋まっている [日本の作家 あ行]
<カバー裏あらすじ>
北海道、旭川。平凡な高校生の僕は、レトロなお屋敷に住む美人なお嬢様、櫻子さんと知り合いだ。けれど彼女には、理解できない嗜好がある。なんと彼女は「三度の飯より骨が好き」。骨を組み立てる標本士である一方、彼女は殺人事件の謎を解く、検死官の役をもこなす。そこに「死」がある限り、謎を解かずにはいられない。そして僕は、今日も彼女に振り回されて……。エンタメ界期待の新人が放つ、最強キャラ×ライトミステリ!
2024年2月に読んだ9冊目の本です。
太田香織の「櫻子さんの足下には死体が埋まっている」 (角川文庫)。
かなり人気のシリーズのようで本屋さんにいっぱい並んでいますね。
この感想を書いている時点で18冊(!)出ているようです。
そのシリーズ第1作。
2012年2月から3月にかけてE★エブリスタで発表されていたもののようで、キャラミスと呼ばれたりしているようです。
ライトミステリと書かれていまして、軽くすらすら読めます。
ちょっと頼りなくも思える語り手の男性(たいてい若い。この作品は高校生)と、一風変わった性格(?) をしている女性探偵役という組み合わせ。
このところ多いフォーマット通りの作品で新鮮味はまったくありませんが、書かれていた当時はまだ今ほどはびこっていなかったのでしょうね。
ただ、フォーマット通りといいつつも、よくある”日常の謎”系ではなく、殺人事件など死にまつわる事件を扱っているところがポイントかと。
なにしろ、女性探偵役であるお嬢様、タイトルにもなっている九条櫻子さんの趣味はなんといっても骨、ですから。
これに関連する蘊蓄が数多く披露されることもポイントとしてあげておいた方がよいかもしれません。
「国からの予算は限られているので、検死する度に大学側は赤字になるんだ。死体一体の正確な死因を割り出すのにかかる費用は大体二十万前後だ、場合によってはそれ以上にもなる。だが国から下りてくるのはたった七万円だよ。真実を解明するという、彼らの正義感と善意に依存している部分も多いんだ」(159ページ)
なんて、勉強になります。
もう一つ、語り手の男子高校生の語り口が、爺くさいこと。
「驚いている僕らに、『山路です』と名乗った巡査さんは、年齢は三十代のまだ若々しい青年で、」(139ページ)
なんて、高校生が三十代の警官をつかまえて「若々しい青年」など言わないでしょう(笑)。
それ以外にも、会話文は極めて現代的というか今風であるのに対し、おっと思うようなクラシックな語や言い回しが出てきます。
こういうミスマッチは、下手をすると文章がぎくしゃくしてしまって読みづらくなるところですが、読みにくくはありませんでした。
個性的なリズム感をお持ちの作家なのだと思います。
舞台が旭川で、旭川の場所や様子があれこれと盛り込まれているところも楽しかったですね。
『真実っていうのは骨に似ている。皮膚と脂肪と肉の中に隠されていても、ちゃあんとその奥で、全部を支えているんだ。物事にはどんな時もちゃんと理由と関連があるんだよ。生き物の身体に骨と筋肉があるようにね。』(38ページ)
櫻子が、唯一尊敬している叔父さんに言われた言葉として紹介されているセリフですが、櫻子さんの趣味が骨というのも、ミステリにはふさわしいのかもしれません。
ミステリで骨というと、やはりアーロン・エルキンズのギデオン・オリヴァー教授シリーズ(名づけてスケルトン探偵シリーズ)ですが、現代風に日本風に軽やかにアレンジされていると捉えるのかな?
謎解き要素が軽めなのはミステリ好きとしては物足りないのですが、苦い現実をしっかりさらしているところとか、あちらこちらで尖った部分が気になるシリーズのようです。
<蛇足1>
「人間の頭蓋骨(とうがいこつ)の一部だ。」(134ページ)
一般的には ”ずがいこつ” と読みますが、専門用語としては "とうがいこつ" と読むのですね。
<蛇足2>
「何故と言われても、ディアベル閣下の歌声に優る美声はないし、聖鬼Mk-IIを越えるバンドはこの世に存在しないからに決まってるじゃないか」(167ページ)
あきらかに、聖飢魔Ⅱをイメージしていると思われるのですが、聖飢魔Ⅱやデーモン閣下という名前を使うことはできなかったんでしょうか? あるいは作者は実在の固有名詞的なものは使わないようにするという小説作法の持ち主なのか?
<蛇足3>
「裏側に『ナナ』と書かれた横に0164から始まる、十桁のかすれた数字が並んでいる。」(172ページ)
十桁に「じっけた」とルビが振られています。
正しくはここにある通り「じっけた」であることは承知しているのですが、ついいつも「じゅっけた」と読んでしまいます。
タグ:太田香織
映画:デューン 砂の惑星PART2 [映画]
映画「デューン 砂の惑星PART2」の感想です。
前作「DUNE/デューン 砂の惑星」の感想を書いていなかったことに今さらながら気づきました。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
『メッセージ』などのドゥニ・ヴィルヌーヴが監督、『君の名前で僕を呼んで』などのティモシー・シャラメが主演を務め、フランク・ハーバードの小説を映画化したSFの第2弾。宇宙帝国の統治者である皇帝に命を狙われる主人公が、惑星デューンの砂漠に暮らす先住民フレメンの女性らと共に反撃を開始する。ゼンデイヤ、レベッカ・ファーガソンなど前作の出演者のほか、オースティン・バトラー、フローレンス・ピュー、レア・セドゥなどが共演に加わる。
---- あらすじ ----
その惑星を支配する者が、全宇宙を制すると言われる砂の惑星デューン。宇宙帝国を統べる皇帝とハルコンネン家に命を狙われるポール(ティモシー・シャラメ)は、先住民フレメンのチャニ(ゼンデイヤ)と共に数奇な運命に翻弄(ほんろう)されながらも、皇帝とハルコンネン家への反撃に立ち上がる。
前作で父(家長)を殺されて井下ている主人公ポールと母が、砂漠の民フレメンと立ち上がる物語。
一行でいうとこういう話です。
前作「DUNE/デューン 砂の惑星」を観てからわりと時間が経っていますが、予習せずに観ました。
それでも幸いなことに、すぐに物語の大枠は思い出せました──まあ、単純ですから(少なくともここまでは)。
166分という長い映画ですが(映画館の区切りだと予告編や広告も含めてになるので3時間でした)、矢継ぎ早にいろんなエピソードが盛り込まれ、次から次へと。
あまりにも展開が早く思えたので、ひょっとしてシリーズ完結かな、と途中で誤解してしまったくらい。
盛りだくさんかつスピーディーな展開なので、まったく退屈せずに観終わりました──物語の緩急のつけ方はあまり好みではなかったんですけどね。
ポール側の視点に比べると、敵対勢力となる皇帝サイドの場面はそれなりに時間はとってあるものの、語られる内容自体はつまみ食い気味で超駆け足。
ポールとチャニの、ボーイ・ミーツ・ガール物語もさらっと(相応に時間も取られているのですが、全体の配分と物語量の多さから、そう感じてしまうのです)。
物語としてのバランスは悪いように思いましたが、そのぶん、映像の迫力で補う、というところでしょうか。
この種の物語は、壮大であっても、ストーリーの基本は単純なものの方がよいような気がしていますので、この映画シリーズは王道なのでしょう。
しっかりした原作のおかげかも──といいつつ未読ですが。
それにしても、砂漠がとても、とても美しい。
人間にとって厳しい環境というのは美しいのですね。
続編が必ず作られると思います。絶対観たいですね。
製作年:2023年
製作国:アメリカ
原 題:DUNE: PART TWO
監 督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
時 間:166分
<2024.4.3>
ポスターの画像を追加しました。
列車に御用心 旧
── 以下一度アップしたのですが、なぜか書いたはずの感想が消えていてごくごく一部だけの状態で、かつ修正前の部分も残っていて、修正したつもりが結局できていなかったということかと思います。大変失礼しました。後日追加してあげ直しします ──
こちらにあげ直しました。
2024年2月に読んだ8冊目の本です。
エドマンド・クリスピンの「列車に御用心」 (論創海外ミステリ)。
単行本で、論創海外ミステリ103です。
列車に御用心
苦悩するハンブルビー
エドガー・フォーリーの水難
人生に涙あり
門にいた人々
三人の親族
小さな部屋
高速発射
ペンキ缶
すばしこい茶色の狐
喪には黒
窓の名前
金の純度
ここではないどこかで
決め手
デッドロック
大半が Evening Standard 誌に掲載されたものということで、短めの短編が集まっています。
原題:Beware of the Trains
著者:Edmund Crispin
刊行:1953年
訳者:冨田ひろみ
Nのために [日本の作家 ま行]
<裏表紙あらすじ>
超高層マンション「スカイローズガーデン」の一室で、そこに住む野口夫妻の変死体が発見された。現場に居合わせたのは、20代の4人の男女。それぞれの証言は驚くべき真実を明らかにしていく。なぜ夫妻は死んだのか? それぞれが想いを寄せるNとは誰なのか? 切なさに満ちた、著者初の純愛ミステリー。
2024年2月に読んだ7冊目の本です。
湊かなえの「Nのために」 (双葉文庫)。
湊かなえの4冊目の著作です。ようやく読みました。
前作「贖罪」 (双葉文庫)(感想ページはこちら)を読んだのが2014年の5月でしたから、ほぼ10年ぶりです。
湊かなえの本は、イヤミスの語源と理解しております。
非常に巧緻に組み上げられていて驚嘆すると同時に、”イヤミス” ならではの強烈な読後感はあまり好みではなく、すさまじい構成力に魅了されつつも、手に取るのに臆してしまうところがあります。
なんどか本棚から手にとってはみたものの、読みださずに結局本棚に戻すことも幾度となく。それでこんなに間が空きました。
この「Nのために」も作者の構成力を十分に堪能できる作品になっています。
ただ、個人的にはあまり驚嘆できなかったです。
この作品、事件にいあわせた4人の人物の視点で語られることで見え方がかわる、というのを狙った作品です。
このような構成の作品の場合、語り手が変わることで事件の様相が変わってくる、あるいはくるくると変わる、というものだったりするのですが、この「Nのために」はそうではありません。
あっ、この言い方は誤解を招きますね。
くるくる変わることは変わるのです。ただ......
冒頭の証言で得られる、頭を殴られて死んでいる野口貴久、脇腹を刺されて死んでいるその妻奈央子、そして凶器と思しき血のついた燭台を持っていた西崎、そして現場に居合わせた人たち(杉下、成瀬、安藤)というのがスタート時点です。
この状況から、ミステリの読者であれば事件の構図は何通りか想定できるかと思います。
真相はどうだったのか、誰が誰に手を下したのかという点では変わるのですが、この想定の範囲内にとどまっており、読んでいるこちらとしては変わった感があまりなかった、とご理解ください。
解説からの孫引きになりますが、著者が「小説すばる」2014年6月号のインタビューで
「『Nのために』は、立体パズルを作りたいな、と思ったんです。登場人物たちは、最後まで誰が嘘をついているか分からない。人の気持ちの奥底を追求するというよりは、読む人だけが立体パズルを組み立てることができて、最後には、そうかこんな形式だったのかと分かる小説を」書きたかった
と説明しているそうです。
このためでしょう、「Nのために」はもっぱら、登場人物、語り手の心の中を覗き込むことに主眼が置かれています。
これは湊かなえの筆力のなせる技なのですが、それぞれの登場人物の心の中はとても興味深く、面白く読めました。そしてこれは作者の狙い通りなのですが、浮かび上がる相互のすれ違いも楽しめました(登場人物たちには気の毒な面もありますが)。
ただ、こういうパターンの作品の場合、個人的にあまりすっきりした読後感にならないことが通例で、この作品もそうでした。ぼくがミステリに期待するものとは違う方向性を持った作品ということかと思います──事件そのものの構図が問われているのではなく、つまり、謎が事件そのものではなく登場人物の心の中という作品群はあまり好みではないということですね。
これが驚嘆できなかった理由です。
一方で、「告白」 (双葉文庫)、「少女」 (双葉文庫)、「贖罪」と来たこれまでの湊かなえの諸作と違い、「Nのために」はイヤミスではありません。
これは結構大きなポイントで、今後湊かなえの作品を手に取りやすくなるのでは、と思います。
次は「夜行観覧車」 (双葉文庫)ですが、それほど間を開けずに読みたいと思います。
タグ:湊かなえ
映画:落下の解剖学 [映画]
映画「落下の解剖学」の感想です。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
第76回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したサスペンス。夫が不審な転落死を遂げ、彼を殺害した容疑で法廷に立たされた妻の言葉が、夫婦の秘密やうそを浮かび上がらせる。メガホンを取るのは『ヴィクトリア』などのジュスティーヌ・トリエ。『愛欲のセラピー』でもトリエ監督と組んだザンドラ・ヒュラー、『あなたが欲しいのはわたしだけ』などのスワン・アルローのほか、ミロ・マシャド・グラネール、アントワーヌ・レナルツらが出演する。
---- あらすじ ----
ベストセラー作家のサンドラ(ザンドラ・ヒュラー)は、夫と視覚障害のある11歳の息子(ミロ・マシャド・グラネール)と人里離れた雪山の山荘で過ごしていたが、あるとき息子の悲鳴を聞く。血を流して倒れる夫と取り乱す息子を発見したサンドラは救助を要請するが、夫は死亡。ところが唯一現場にいたことや、前日に夫とけんかをしていたことなどから、サンドラは夫殺害の容疑で法廷に立たされることとなり、証人として息子が召喚される。
話題の映画ですが、どうやら鑑賞の仕方を間違えてしまったようです。
事前にあらすじ的なものを読み、
夫が転落死。
現場となった自宅にいたのは妻サンドラ。
愛犬と散歩に出ていた子供ダニエルが発見する。
夫婦仲がよくなかったと推定され、サンドラが殺人犯として裁判に。
こういうストーリー展開なのでミステリー映画かな、と思って観てしまいました。
この映画、謎はあってもいわゆるミステリー映画ではありませんでしたね。
まずこの裁判のあり方に驚愕。
証拠らしい証拠がほぼないのに、サンドラを犯人と決めつけて裁判にかけ、裁判中の検察の主張も物証なくイメージのみ。サンドラの書いた小説まであたかも証拠であるかのように取り上げ、裁判中に読み上げる始末。
これ、映画だからでたらめな裁判を描いたのでしょうか?
それともフランスではこういう裁判が一般的なのでしょうか?
推定無罪、疑わしきは被告人の利益に、と言う法理もなさそうです。
裁判の進め方も極めて異常なものと映りました。証人尋問のさなかに、不意に被告に質問を投げかけたり、異議申し立て以外にも弁護士や検察官が簡単に口をはさんだり。
こんな裁判ですから、俳優さんたちの名演とあいまって、サンドラが無罪となるか有罪となるか、とてもドキドキ、ハラハラできます。
映画に引き込まれた、と言ってもよいでしょう──でも、こういう引き込まれ方は......(苦笑)。
裁判の途中でサンドラの夫婦のあり方や息子ダニエルとのかかわり方がどんどん明らかにされていき、そこが映画としてもっとも重要なパートであるので、裁判シーンがないと困るのですが、もうちょっと裁判の中身はなんとかならなかったものか。
裁判の行方を決定づけるのは、あらすじにもある通り息子ダニエルの証言なのですが、これまた証拠となるものというよりは、ダニエルから見た印象論で、最後までびっくり。
こんな状況で有罪を宣告されたら、たまったものではないなぁ。
明らかに、ミステリー映画として観たのがいけないのだ、とわかります。
ミステリー映画ではない、として考えると、このダニエルの証言の重みの印象が一層強くなります。
裁判によるサンドラの有罪・無罪を左右するのですから、重要な証言であることは変わりないのですが、この証言に至るにダニエルの下す決断は、果たしてサンドラがやったのかどうかとは別に、これまで語られてきていた家族のありかたと、裁判で急にそれをあかされて困惑せざるを得ないダニエルの心情に大きく影響を受けるもので、重い、重い決断です。
実際にサンドラが殺したのかどうか、はっきりしないまま結末を迎えるのですが、個人的には最後の犬のシーンを見て犬を信じてみようか、というところです。
いろんなかたの感想を見てみたいですね。
製作年:2023年
製作国:フランス
原 題:ANATOMY OF A FALL
監 督:ジュスティーヌ・トリエ
時 間:152分
<2024.3.30 ポスターの画像を追加しました>
リケジョ探偵の謎解きラボ 彼女の推理と決断 [日本の作家 喜多喜久]
リケジョ探偵の謎解きラボ 彼女の推理と決断 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
- 作者: 喜多 喜久
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2019/04/04
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
研究第一のリケジョ探偵が帰ってきた! 留学帰りの研究者・友永久理子と同棲を始めた保険調査員の江崎は、結婚に向けて着々と準備を進めていくが、二人の生活には様々な問題があり……。一方、仕事においても、江崎に回ってくる案件は相変わらず厄介な不審死ばかり。頭を悩ませる江崎が、久理子にアドバイスを求めると、彼女は犯人の思考を ”トレース” し、科学の力で事件の謎に迫る!
2024年2月に読んだ5冊目の本です。
前回感想を書いたハリー・カーマイケル「アリバイ」 (論創海外ミステリ)と順番が逆になってしまいました。
喜多喜久「リケジョ探偵の謎解きラボ 彼女の推理と決断」 (宝島社文庫)。
「リケジョ探偵の謎解きラボ」 (宝島社文庫)(感想ページはこちら)の続編にして完結編(多分)です。
あらすじに書いてあるように「二人の生活には様々な問題があ」るとは思いませんでしたが、連作短編を通して、江崎が受ける仕事の解明と、久理子と江崎の生活の両方が描かれていきます。
裏側の帯に、各話の1行紹介があるので、それとともに各話について。
「Research01・契約と選択」 なぜスズメバチは季節外れの時期に凶暴化したのか。
犯人側の視点から犯行前まで描いておいて、その後江崎視点に切り替わります。
蜂といえばフェロモンと結びつけやすい生き物なので、犯行手段は理系的には平凡というか容易に想像がついてしまうもので、むしろどうやってそれを突き止めるかという興味になるのでしょう。
久理子と江崎の生活の方にも絡んでくるので単純には言い切れないとは思いますが、この事件の決着のつけ方は印象に残りました。
「Research02・死の階段」 脳梗塞で夫を亡くした妻は、前夫も同様に失っており……。
健康に留意が必要な夫の生活を身体に悪い方向に導いて死に至らしめる──なかなか悠長な殺人計画の疑いをかけられています。
江崎との会話で涙を浮かべたその妻に
「ウソ泣きではないだろう、と僕は感じていた。彼女が心に傷を負っていることは間違いないように思えた。
問題は、涙の理由だ。二人の夫を失った悲しみなのか、それとも金のために二人を殺めたという良心の呵責なのか。今後の調査を通じて、それをじっくりと見極めていかねばならない。」(127ページ)
と述べるところ立ち止まりました。そうか、良心の呵責の涙か......そういう涙もあるのですね。
「Research03・失踪の果つる地」 七年間姿を見せず、死亡扱いとなりそうな男の失踪の謎。
ミステリとしての印象は弱いのですが(読んでいただくとわかりますが、事件らしい事件がないので)、決着というのか物語の行方が印象に残ります。
途中、DNAと遺伝子を「DNAが本で、遺伝子がそこに書かれた文章ってのはどうですか。意味のある文章が集まって物語になる。これってつまり、遺伝子からタンパク質ができて、最後には生物ができあがるのと同じでしょう。」(214ページ)と譬える箇所があります。
DNAは本ですか? どちらかというと文字のような気がしますが......そして生物が本なのでは?
さておき、その薬物退社に関わる酵素(CYP)、遺伝子の並びの傾向から出身地が判明するというのは本当でしょうか? すごいことですね。
「Research04・生命の未来予想図」 がん保険の生前給付金を受け取る患者が続出する病院の闇。
ここまで夫婦関係に起因する事件(?) を扱ってきたあとに、違う角度の事件。
このがんと保険をめぐる仕掛け(?) は素人にも簡単に予想がつく内容になっていまして、ちょっと食い足りなかったですね。
久理子と江崎の生活の方のエピソードが、意図的にだとは思うのですが、全体を通じて非常にあからさまにヒントがばらまいてあって、読者は江崎よりもかなり先回りできてしまうんですよね。
第1話から第3話まで夫婦にまつわる事件ばかりでそのたびに江崎がいろいろと考え、そして陰が差しこんで来ようとも、この二人にお似合いの、というか、江崎にお似合いのとでも言うべきベタで甘々なラストは、喜多喜久らしいといえば喜多喜久らしく、これでいいのかな、と思えました。
アリバイ [海外の作家 か行]
2024年2月に読んだ6冊目の本です。
論創海外ミステリ204。
ハリー・カーマイケル「アリバイ」 (論創海外ミステリ)。
ハリー・カーマイケルを読むのは
「リモート・コントロール」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)
「ラスキン・テラスの亡霊」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)
に続き3冊目です。
とてもシンプルなタイトルで、おおアリバイ崩しかと思うのですが、そう単純にいかないところがポイントだと思いました。
冒頭が思わせぶり。車で帰宅途中の弁護士ヘイルがパトリシアと言う足をくじいた女性と遭遇し、誘われる。靴とカバンを忘れたといわれ、ヘイルは取りに戻ってあらためてパトリシアの家へ向かうが......
章が変わって、おなじみの保険調査員パイパーが、ワトキンという男から妻を探してほしいという依頼を受ける。
妻は夫の元を離れ、偽名で暮らしていた。冒頭のパトリシアというのがその妻で、やがて死体が見つかって......
冒頭のシーンからすると、ヘイルが犯人かと思いそうなんだけれど、タイトルが「アリバイ」。
ということは、夫には鉄壁のアリバイがあるので、ああこちらが犯人だな、と。ヘイルもなかなか物語に登場しませんしね(笑)。
ところが夫のアリバイ、これがなかなか崩せそうもなくて。
このアリバイが崩れないというだけではなく、パイパーの捜査自体も、さまざまな情報が入り乱れるもののなかなか進まなくて(ですが退屈することはなく、すいすい読み進むことができます)、警察からも冷たい対応をされて、さてどうなってしまうのだろう、と心配になるのですが、たどりつく真相はかなり良くできていまして、いたく感心しました。
アリバイというタイトルから地道なアリバイ崩しを期待すると肩すかしとなりますが、うまく構成された本格ミステリになっていると思います。
ハリー・カーマイケル、もっと訳してほしいですね。
<蛇足1>
「たかだかブランデー三杯とリシュブール一杯を食事の後に飲んだだけだ。」(9ページ)
フランデー三杯だと、まあまあのアルコール量なのでは、と思いますが、欧米人は日本人に比べるとアルコールに強い体質なので、こういう感覚なのかもしれませんね。
リシュブールというのがわからなかったのですが、有名なワインなのですね。
ブルゴーニュにある「神に愛された村」と喩えられるヴォーヌ・ロマネ村にある8つのグラン・クリュのちの一つのようです。Richebourg。── ロマネ・コンティ(Romanee Conti)もそのうちの一つなんですね。
<蛇足2>
「イギリスのパブにおけるセクハラ事情なら、本を一冊かけるくらいよく知ってるよ」(207ページ)
この本が出版された1953年当時、セクハラという語はイギリスにもなかったのではないかと思うのですが......
<蛇足3>
「クリフォードおじさんはカムデン・タウンの小さな二軒長屋にひとりで暮らしていた。」(209ページ)
二軒長屋???
ひょっとして "semi-detached" の和訳でしょうか? 先日読んだ「善意の代償」 (感想ページはこちら)では二戸住宅と訳されていましたね。
<蛇足4>
「考えてみろよ、アダムが手に取ったのがイチジクの葉じゃなくてビールのホップだったら、この世はいまよりずっと平和だったと思わないか……なあ?」(264ページ)
本書をしめくくるクインのセリフですが、これ、賛同できますかね(笑)??
原題:Alibi
作者:Harry Carmaichael
刊行:1953年
訳者:水野恵
怪盗紳士(ポプラ社) [海外の作家 ら行]
([る]1-2)怪盗紳士 怪盗ルパン全集シリーズ(2) (ポプラ文庫クラシック る 1-2 怪盗ルパン全集)
- 出版社/メーカー: ポプラ社
- 発売日: 2009/12/24
- メディア: 文庫
<カバー裏あらすじ>
フランスの豪華客船に、怪盗ルパンが紛れこんでいるという知らせをうけ、乗客たちは騒然となる。金髪で、右腕に傷あとがあり、変名の頭文字はR──高慢な大金持ちから金品を盗み、貧しい人には力をかす、英雄的大泥棒・怪盗紳士アルセーヌ・ルパンが初めて登場した作品! 解説/貫井徳郎
2024年2月に読んだ4冊目の本です。
モーリス・ルブランの「怪盗紳士 怪盗ルパン全集シリーズ(2) 」(ポプラ文庫クラシック 怪盗ルパン全集(2))。
2023年10月に「奇巌城 怪盗ルパン全集シリーズ(1) 」(ポプラ文庫クラシック)(感想ページはこちら)を読んで、懐かしく、面白く感じたので、このシリーズを一気に大人買いしました。
ポプラ社からはこのあと版を改めたバージョンも出ていまして、この文庫本在庫が少なくなっているものもあるようですね。結構探して買いました。
タイトルからもわかりますように、「怪盗紳士ルパン」 (ハヤカワ文庫 HM)(感想ページはこちら)と同じ作品ですね。
子供向けの翻案なので、ページ数の関係でしょう、全9話中6話が収録されています。
題して
大ニュース=ルパンとらわる
悪魔(サタン)男爵の盗難事件
ルパンの脱走
奇怪な乗客
ハートの7
大探偵ホームズとルパン
オリジナルの方のタイトルは、 ハヤカワ文庫版ではそれぞれ
アルセーヌ・ルパンの逮捕
獄中のアルセーヌ・ルパン
アルセーヌ・ルパンの脱獄
謎の旅行者
ハートの7
遅かりしシャーロック・ホームズ
ですね。なかなか趣深い(笑)。
これらのタイトルもそうですが、非常にのびのびと、というか、好き勝手に翻案している感じがとても心地よい──といっても、でたらめというわけではなく、原作に対するリスペクトはちゃんとあるんですよね。
「あんがい、かれは日本にのがれて、講道館あたりですきな柔道のしあげをしえているのではないだろうか。」(184ページ)
なんて、南洋一郎ならでは、という脱線ではないでしょうか。
子どもの頃はそのまま素直に読んでいたと思うので、こういう風に読むのは大人になったからこその愉しみのような気がします。
解説でも貫井徳郎が
「ぼくがわくわくしたルパンは、モーリス・ルブランが創造したルパンではなく、南氏のルパンだったのだな、と今になって思ったりもします。」(323ページ)
と書いているように、南洋一郎の自由奔放に見えるところが大きな魅力になっているのでしょう。
それと、ハヤカワミステリ文庫版の感想にも書いたことですが、この短篇集はもともとかなりトリッキーでして、子供向けで原稿枚数が絞られる関係でしょう、そのあっと驚く部分が集中して強調して取り上げられているので、シンプルに驚きを大きくさせる効果が出ているようにも思えました。
大人買いした残りを楽しみに読んでいきます。
<蛇足1>
「ぼくは、船長やロゼーヌがのみとりまなこで、船のすみずみまで探しても、時間をむだにするだけだと思いますね。」(31ページ)
「のみとりまなこ」ですか。もう死語ですね。
子どもはわからないのではないでしょうか?
<蛇足2>
「あいつは頭のするどい、神経が金線のようにこまかい男だ。」(106ページ)
金線というのが、細やかなもののたとえに使われるのですね。
原題:L'aiguille Creuse
作者:Maurice Leblanc
刊行:1909年(Wikipediaによる)
訳者:南洋一郎
映画:Firebird ファイアバード [映画]
映画「Firebird ファイアバード」の感想です。
いつものようにシネマトゥデイから引用します。
---- 見どころ ----
俳優のセルゲイ・フェティソフの回想録をモチーフに描く人間ドラマ。ソ連の支配下にあった1970年代のエストニアを舞台に、当時はタブーだった男性同士の恋愛を描く。監督などを務めるのはペーテル・レバネ。トム・プライヤー、オレグ・ザゴロドニーのほか、『ミスティック・フェイス』などのディアーナ・ポジャールスカヤらが出演する。
---- あらすじ ----
1970年代後半、ソ連占領下のエストニア。モスクワで役者になることを夢見る二等兵のセルゲイ(トム・プライヤー)は、間もなく兵役を終えようとしていた。そんな折、彼と同じ基地に将校のロマン(オレグ・ザゴロドニー)が配属され、写真という共通の趣味を通して親しくなった二人の友情は、やがて愛へと変わる。しかし当時のソ連では同性愛は固く禁じられており、関係が発覚すれば厳しい処罰が待っていた。
2011年ベルリン国際映画祭で、本作品の主人公であるセルゲイ自身から『ロマンについての物語』と題された本を渡された監督が、主演かつ脚本のトム・プライヤーとともに作り上げた、という本映画成立のエピソード自体が映画みたいです。
上のあらすじは少々短すぎるので、映画のHPからあらすじを引用します。
「ブロークバック・マウンテン」「アナザー・カントリー」に続く名作の誕生 ─
あなたの感情を知ってしまったから...
世界が感動したピュアな愛の物語。
1970年代後期、ソ連占領下のエストニア。モスクワで役者になることを夢見る若き二等兵セルゲイ(トム・プライヤー)は、間もなく兵役を終える日を迎えようとしていた。そんなある日、パイロット将校のロマン(オレグ・ザゴロドニー)が、セルゲイと同じ基地に配属されてくる。セルゲイは、ロマンの毅然としていて謎めいた雰囲気に一瞬で心奪われる。ロマンも、セルゲイと目が合ったその瞬間から、体に閃光が走るのを感じていた。写真という共通の趣味を持つ二人の友情が、愛へと変わるのに多くの時間を必要としなかった。しかし当時のソビエトでは同性愛はタブーで、発覚すれば厳罰に処された。一方、同僚の女性将校ルイーザ(ダイアナ・ポザルスカヤ)もまた、ロマンに思いを寄せていた。そんな折、セルゲイとロマンの関係を怪しむクズネツォフ大佐は、二人の身辺調査を始めるのだった。
LGBTをテーマにした映画というと、周りに秘めた恋というのが定番で、さらに時代・場所のせいで違法だった、というのも多いですね。
この「Firebird ファイアバード」もそうで、舞台がソ連でKGBにも狙われている、というのがより大きな障壁として立ちふさがります。
(映画のHPのあらすじ中のクズネツォフ大佐というのは、二人の味方というのは言い過ぎとしても、中立的な立場だったかと思います。ここはKGBのズベレフ少佐ではなかろうかと。位が上の大佐が少佐を抑え込むシーンもありますし)
こういう、画面から伝わってくるわかりやすいストーリー展開を追うだけでも十分楽します。
セルゲイとロマンの二人が結ばれていく様子も、ロマンに導かれて演劇の世界へとセルゲイが身を投じていく流れも、二人きりで楽しむ時間も、複雑な関係となってしまうルイーザとのやりとりも、KGBに追いつめられそうになる緊迫感も。
なんですが、この映画の場合、こういう(明らかに)語られたこと以外の、語られなかった部分がとても気になりました。
たとえば、KGBのズベレフ少佐(上のあらすじではクズネツォフ大佐となっていますが、上述の通りズベレフ少佐かと思います)。ロマンをつけ狙い脅したりする人物なのですが、結婚式のシーンとかもっと複雑なスタンスを取っていたように思わせる一方、エンドロールで思わせぶりに登場して、ひょっとしてアフガンのエピソードはこいつの差し金か? やっぱりピュアな敵役だったのか、と惑わせてくれます。
ズベレフ少佐とは逆の立場で、クズネツォフ大佐の立ち位置もそうですね。
ズベレフ少佐の追及をいさめて見せる早い段階のシーンが特徴的。
結婚式のシーンで、セルゲイに対して、セルゲイ、ロマン、ルイーザの関係性をどう見ていたかを伝えてくるシーンはとても印象的でした。
ロマンをかばいだてしたのは戦績著しいロマンを確保しておきたいということはあったでしょう、でもそれだけではないのでは?と思わせてくれます。
あるいは二人の関係を匿名の手紙で告発した人物。
不安の種を残しつつ、ストーリーからはあっさり退場。
かえってその後が気になります。
また大きなポイントとなるルイーザとの関係性も、(こちらが鈍いだけかもしれませんが)語られていないというべきかもしれません。
象徴的なのはルイーザとセルゲイが話す最後のシーン。
クズネツォフ大佐の指摘ともあいまって、最後にルイーザが言わずに飲み込んだ台詞、とても気になります。
気になるといえば、タイトル「Firebird ファイアバード」も気になります。
映画中、ストラヴィンスキーのバレエ「火の鳥」を見るシーンがあり、これはセルゲイが演劇へ進むきっかけとなるとても重要なシーンです。観ているセルゲイの表情には引き込まれるようでした。
ここから取っていることは明らかなのですが、「火の鳥」の物語とこの「Firebird ファイアバード」の物語の重なり具合がわかりませんでした。
「火の鳥」って雑に言えば、西洋版「鶴の恩返し」ですよね......
火の鳥を救い、火の鳥に救われる。
セルゲイとロマンにとって、火の鳥は何だったのでしょう?
(それにしても、少し使われているだけですが、「火の鳥」っていい曲ですね)
あと個人的には、いわゆる肌色シーンが少なくてよかったです──いや、むしろもうちょっと多くてもよかったかな、と思いました。というのもお二人の体格がとてもいいように思われて、エッチなシーンというよりも、なんだか動く彫刻を見ているような気分になったので。画面が暗いシーンだったので余計そう思ったのかもしれませんが。
肌色シーン違いで、海で泳ぐシーンとかもっとあってもよかったかも、ですね。なにしろここは、二人の幸せを強く伝えてくるシーンですから。
いろいろと(いい意味で)気になる点の多く、見ごたえのある映画でした。
製作年:2021年
製作国:エストニア/イギリス
原 題:FIREBIRD
監 督:ペーテル・レバネ
時 間:107分
百蛇堂 [日本の作家 三津田信三]
<カバー裏あらすじ>
作家兼編集者の三津田信三が紹介された男、龍巳美乃歩が語ったのは、旧家、百巳家での迫真の実話怪談だった。数日後、送られてきた原稿を読んだ三津田と周囲の人々を、怪現象が襲い始める。もうひとつの怪異長編『蛇棺葬』から繋がる謎と怪異が小説の内と外で膨れあがるホラー&ミステリ長編。全面改稿版。
2024年2月に読んだ3冊目の本です。
三津田信三「百蛇堂 怪談作家の語る話」 (講談社文庫)。
「蛇棺葬」 (講談社文庫)(感想ページはこちら)の続編です。
「蛇棺葬」を読んだのが2023年9月。
もともとは続けてこの「百蛇堂」も読むつもりだったのですが、怖かったので間をあけました。
ざっと5ヶ月ぶりに読んだのですが、ちゃんと覚えていました。思い出しても怖い。
「百蛇堂」は「蛇棺葬」の内容を龍巳美乃歩から三津田信三が聞く、というオープニングで、三津田信三は舞台となった奈良県蛇迂(だう)郡它邑(たおう)町蕗卯檜(ろうひ)に子供の頃住んでいたこともあり、興味深く話を聞くところからスタート。
その後龍巳美乃歩の書いた原稿を読んで、三津田信三の周りで怪異が相次ぐ、という展開になります。
三津田信三の友人飛鳥信一郎と祖父江耕介も登場し、一安心。彼らが出てくると、怪異現象を理で解き明かす、という方向性になるからです。
ところが......
どんどん怪異はパワーアップするし(三津田信三の同僚が失踪したりしますし、近辺に怪しげな黒い女の姿が)、理をいくら説かれても恐怖は収まるどころかむしろ増大していってしまいます。
「わしはな、おる思うけ。そん正体は分からんけど、そういうもんはおる思います。地方によって違うやろうけど、少なくとも昭和三十年代、四十年代の日本には、ちゃんとおったんやけ」
「今はいませんか」
「それを感じて恐れる人のほうが、すっかり変わったからけ。人間が認めんはなんぼ存在しとっても、そりゃおらんのと同じけ。昔は日常生活の至るところで、そういう魔物が感じられたけ。」(562ページ)
こういう会話を三津田信三は郷土史家である閇美山(へみやま)と交わすのですが、ここで述べられているように、理で解かれた怪異というものは信じなくなった怪異ということで、幽霊見たり枯れ尾花ではないですが、怖くなくなっていくはずなのに、この「百蛇堂」ではどれだけ説明されても怖い。
やめておけばよいのに、三津田信三は龍巳美乃歩の家に押しかけ、怪異の主たる舞台である它邑町を訪れ......
どんどん高まっていく恐怖の中で、ラストでは性質の異なる怖さが襲ってきます。
それまでの怪異でも十分怖かったのに、このラストはとても怖かった。
なんという恐ろしい話を......
次に読む本としては怖くない理知的な物語を手に取ることにします。
<蛇足>
「百巳家の隠の間の奥座敷にあた座敷牢の格子のようなものが、私の目の前にある。」(202ページ)
隠の間──意味は分かる気がするのですが、調べても出てきませんでした。
忘れているだけで前作「蛇棺葬」で説明されていたのかも。
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