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モーリスのいた夏 [日本の作家 ま行]


モーリスのいた夏 (PHP文芸文庫)

モーリスのいた夏 (PHP文芸文庫)

  • 作者: 松尾 由美
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2011/09/17
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
高校二年の夏休み、村尾信乃はアルバイトのため優雅な避暑地を訪れる。そこで美少女・芽理沙に引き合わせられたのは“人くい鬼”なる異様な生き物。生きている人に危害は与えず、大人には見えないというのだが…。そんな中、立て続けに起きる不可思議な事件。“人くい鬼”の仕業ではないと信じる二人は、真犯人を捜して調査を始めた。ひと夏の奇跡を描く、爽やかなミステリー。『人くい鬼モーリス』を改題。


2023年7月に読んだ本の感想が終わったので、読了本落穂ひろいを。
落穂ひろい。なのですが、「ロートケプシェン、こっちにおいで」 (創元推理文庫)(感想ページはこちら)同様手元の記録から漏れていまして、いつ読んだのかわかりません......
松尾由美の「モーリスのいた夏」 (PHP文芸文庫)
もともと理論社のミステリーYA! という叢書から「人くい鬼モーリス」というタイトルで出ていたもので、ジュブナイルということになると思われますが、解説で風間賢二が書いているように、「大人の読者でもじゅうぶん楽しめる作品」です。

はじめて松尾由美の感想を書いた「雨恋」(改題後のタイトル「雨の日のきみに恋をして」 (双葉文庫)。感想ページはこちら)のところで、
「松尾由美といえば、変な作品! (念のため、褒め言葉です)
ミステリでは、『バルーン・タウンの殺人』 (創元推理文庫)『安楽椅子探偵アーチー』(創元推理文庫)も変だったし、サスペンスでは『ブラック・エンジェル』 (創元推理文庫)も、『ピピネラ』 (講談社文庫)も相当変わっていました。」
と書きましたが、この「モーリスのいた夏」も相当変わっています。

主人公である女子高生信乃のところに持ち込まれる夏のバイト。別荘地で過ごす小学四年生の女の子芽理沙の家庭教師。気難しいといわれる芽理沙に気に入られて、別荘地で出会う不思議な事件。
というわりと典型的な話ですが、そこで芽理沙に紹介されるのが、モーリスと名づけられた人くい鬼(!)。
芽理沙の祖父が遺した手記にモーリスのことが記載されていて、恐る恐る、疑いを抱きつつも信乃は理解を深めていく。
モーリスは、自分の手で死体をつくりだすことは絶対にないが、死んでまもない人や動物の「残留思念」または「魂」をエネルギーとしてとりこみ、死体を消してしまう、というなんとも殺人犯にとって都合のいい生き物。

と思っていたら実際に殺人事件(らしきもの)が起きて、死体が消えてしまう。
死体がどうやって消えたのか、警察が捜査を進めていくのですが、モーリスのことを知っている信乃と芽理沙は、モーリスを守らなければと......

いわゆるひと夏の冒険として、タイトに仕上がっているところが最大の長所かと思います。
ひと夏の恋も、ちゃんと出てきます。
そしてこの種の物語の典型ではありますが、最後を手紙で締めくくるのも、美しいと思いました。

なにより
「信乃ちゃんの場合、することや言うことに独特の面白みがある。雰囲気をなごませるというか、素頓狂というか」(16ページ)
面と向かってこう評される信乃と、素直だったりわがままだったり、くるくると変わる芽理沙のコンビが楽しい。

人くい鬼は出てきますが、きちんとミステリとしての手順も踏まれており、カメラなどの小道具も要所を締めてくれていました。

松尾由美、癖はありますが、いいですよ!


<蛇足1>
「『人くい鬼』の『く』はひらがなだから気をつけてね。漢字の『人食い鬼』じゃなく。そのちがいは、生きている人間は絶対に食べないということ」(48ページ)
割と最初の方で芽理沙が信乃に説明するところです。
ひらがなと漢字の違いという説明をしていますが、「くう」と「食う」にはそういう含意はないと思われますので、この作品内での説明、ということかと思います。

<蛇足2>
「そのうちお招ばれする機会があると思うから、楽しみにしててね」(82ページ)
何の抵抗もなく、すっと「およばれ」と読みましたが、招という字を「よばれる」というように読むとは習わなかった気がします。意味からしてぴったりですけれども。





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秘密 season 0 7 [コミック 清水玲子]


秘密 season 0 7 (花とゆめCOMICSスペシャル)

秘密 season 0 7 (花とゆめCOMICSスペシャル)

  • 作者: 清水玲子
  • 出版社/メーカー: 白泉社
  • 発売日: 2018/07/05
  • メディア: コミック

<カバー裏あらすじ>
2061年、世の中は75年ぶりに接近するハレー彗星の話題で持ちきりだった。そんな中、「偉人」たちの「脳」ばかりが奪われる奇妙な事件が発生。一体誰が何の目的で行ったのか。この事件は「第九」MRI捜査に関わりは全くないのだろうか──。薪と青木が捜査を進める中、明らかになった真相とは…。


ずいぶん久しぶりになりましたが、清水玲子の秘密シリーズを。
今回のお話は「冬蝉」というタイトル。
蝉のエピソードとハレー彗星のイメージが全編を覆っています。

「もし私が1週間で死ぬ蝉だったなら 他の生き物が80年も100年も生きる事など知りたくもない」
「神がもしたわむれに蝉に真実をしらせたなら 何故 そんな残酷なことをなさるのか
 何故 神は人間に身に余る英知をさずけたのだろう
 なぜ我々はいけもしない何億光年も彼方の宇宙にこんなに憧れるのか
『蝉』なのに」(47ページ~)

焦がれるあまりに踏み出す研究者たち vs 薪、という構図で、研究者たちの方に薪の恩師を配したところがミソですね。
「第九」の意義にも関わる非常にデリケートな問題を扱っており、脳を見ることに対する立場が一見すると逆転しているように思えるところがポイントなのでしょう。
またこの点については、このシリーズの出発点である「新装版 秘密 THE TOP SECRET 1」 (花とゆめCOMICS)(感想ページはこちら)に収録されている米大統領の話「秘密 -トップ・シークレット-1999」のテーマでもあったということも注目すべきポイントだと思います。

これと同時に、天体観測に触発されて、薪がありし日の鈴木とのすれ違いを回想するシーンが挟み込まれます。
こちらで、アズマヤマドリの習性をめぐって青木が演じる役割が、登場人物たちの立ち位置を考えると味わい深い。
シリーズ的には重要なエピソードだと思うのですが、個人的にはあまり感心しませんでした。というのも、薪の心情があまりにもダイレクトに描かれすぎていると感じたからです。
心の中のものとはいえ、セリフとして表出してしまうのは、物語のトーンとして違和感があります。
エピソードそのものはとてもいいと思ったのですが。

ところで、スタイリッシュな造本になっていて素敵なのですが、配色にはもっと気をつかってほしいです。
この「秘密 season 0 7」 (花とゆめCOMICSスペシャル)は深い緑が基調色になっていますが、裏のあらすじや袖の紹介文などのように、そこに黒い文字を乗せるととても読みにくい。
ユニバーサルデザインうんぬんとかいう大きな話の遥か手前で、製品として読みにくさという点は考えてもらいたいな、と思います。


<蛇足1>
「ただ私達に譲れない信念と宇宙への思いがあるように彼にも…検察側にもあるのだと思います」(100ページ)
薪のことを指して言っているセリフです。
薪は警察であり検察ではないので、ここは話者の勘違いということになります。
殊にこの物語の場合、薪と検察はまったく同体とはいえず、意見を異にし対立しているのですから、なおさらおかしく感じてしまいます。
一般的には混同されているのかもしれないな、と思いつつ、ちょっと残念に思いました。

<蛇足2>
112ページに
「せっかく京都にいるんだ尚護院の八ツ橋食べたいな…」
という薪のセリフがあり、名菓として三角形のお菓子の絵が描いてありますが、それ生八ツ橋で八ツ橋じゃないですよ(笑)。
八ツ橋は、その名のとおり、八ツ橋をかたどったものですから、細長い瓦型というのでしょうか、そういう形の硬いお菓子(分類するとおせんべいでしょうか)です。
柔らかくて中に餡などが入っているのは生八ツ橋で、別のお菓子です......
まあ、こんなこと言っても世間的には生八ツ橋こそが八ツ橋かもしれませんが。
でも、ちゃんと後段144ページでは生八ツ橋と書かれていますから、薪がいい加減に記憶していたということですね。こらっ、薪!




タグ:清水玲子
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ラスキン・テラスの亡霊 [海外の作家 か行]


ラスキン・テラスの亡霊 (論創海外ミステリ)

ラスキン・テラスの亡霊 (論創海外ミステリ)

  • 出版社/メーカー: 論創社
  • 発売日: 2017/03/03
  • メディア: 単行本



2023年7月に読んだ10冊目、最後の本です。
論創海外ミステリ188。
ハリー・カーマイケル「ラスキン・テラスの亡霊」 (論創海外ミステリ)
「リモート・コントロール」 (論創海外ミステリ)(感想ページはこちら)が面白かったので、こちらも手に取りました。

帯に「不幸な事故か? それとも巧妙な殺人か?」と書かれています。
訳者あとがきで簡単に要約されているように「有名なスリラー作家クリストファー・ペインの妻エスターが、彼の最新作のストーリーと同じように、毒物を摂取して死亡する事件から始まります。周りの者すべてに憑りつき、不幸に陥れる邪悪な存在。彼女の死は自殺だったのか、他殺だったのか? その謎に輪をかけるように、彼女の主治医であったフォールケント医師の配偶者も服毒死を遂げます。これもまた、自殺なのか他殺なのか、はっきりしません。」
というのが主のストーリーラインです。

こういう設定のミステリは決着のつけ方が難しいと思っています。
決め手がないから自殺か殺人か事故か、という状況になっているわけで、後出しじゃんけん的に後から証拠を持ち出さないかぎり、なかなか決定的にこれだと決め打つことはできないのに、ミステリであれば最終的には決めないといけないからです。
作者が決めたところで、読者にしてみれば「後出しじゃんけんだな」とか「決め切れていないよな」という感想を抱きがちです。

この作品もその意味では後出しじゃんけんに近い部分はあるのですが、伏線らしきものが引かれていること、探偵役があれこれ揺れ動いてしまう点がミスディレクション的な使われ方をしていることで、印象を緩和してくれています。
ただ、探偵が揺れ動く点のせいで、全体としてごちゃごちゃした印象を受けてしまって残念。
「リモート・コントロール」 のような切れ味は感じられませんでした。

それでも、企もうとする作者の意欲は感じられましたので、別の作品も手に取ろうと思います。



<蛇足1>
「薬棚から睡眠薬の入った細長いガラス製のチューブを取り出す。」「睡眠薬は二錠しか残っていなかった。」(8ページ)
「一錠ずつ縦に並ぶ細長いガラスチューブに入れて。」(20ページ)
錠剤の入ったガラスのチューブ、というのがイメージできませんでした。どういったものなのでしょうね? ガラス壜ならわかるのですが。

そして
「警察の分析官が、空の容器の中にストリキニーネの痕跡を発見しているんだ」(19ページ)
錠剤に入れたストリキニーネの痕跡がチューブで見つかる、というのも不思議ですね......
まあ錠剤の表面にもストリキニーネがあった、ということなのでしょうね。素人にわかりにくいです。
この部分は後の推理にも影響するので、わかりにくくて困りました。


<蛇足2>
「円錐形の屋根とマリオン仕切り(石や木でできた窓の縦仕切り)の窓が、閑静なチェルシー地区(スクエア)を見下ろしている。」(66ページ)
マリオン仕切りがわからなくて調べました。
ムリオンということもあるようですね。また縦とは限らず「ビルや建物の窓や建具などの枠を、構造的に支える水平や垂直の補強材」のことを指すようです。
ところで、チェルシー・スクエアを”地区” と訳してありますが、おそらく地区という日本語でイメージするものではなく、広場あるいは公園のようになっている場所のことを指すと思われます。今地図で確認すると、Chelsea Common というのが広場の名前で、その周りを囲うように Chelsea Square という道路が走っています。こういう場合、一般的に道路で囲まれた部分を チェルシー・スクエアと呼んだりします。

<蛇足3>
「精神力を浪費しないことだな、パイパー君。わたしとペイン夫人のあいだには何のミステリーも存在しないよ。患者と医者、それだけの関係だ。」(112ページ)
精神力を浪費する、とはどういうことでしょうね?
医者に患者との関係を気をつかいつつ聞いているパイパーに、医者本人がいうセリフです。

<蛇足4>
「沈着冷静なジョン・パイパーに、偉大なるドルーリー・レーン劇場(ロンドン中央部にある、十七世紀以来の歴史を持つ王立劇場)の伝統を体現できるなんて、誰に想像できたかな?」(162ページ)
パイパーとホイル警部が物語の終盤で事件の様相を話しているときのホイル警部のセリフです。
ドルーリー・レーン劇場の伝統、が何を指すのかわかりません。ドルーリー・レーン劇場そのものではなく、この伝統の内容について訳注が欲しいところです。

<蛇足5>
「どうして、天才的な殺人計画を練り上げておいて、まったくの他人相手に実行したような話し方をするのだろう?」(186ページ)
この文章の意味がわかりませんでした。
全くの他人相手に実行したような話し方、って何でしょうね?

<蛇足6>
「安全ボタンを使うくらいでよかったのではないか。外からあけられないようにするには、その小さなボタンだけで十分だ。」(195ページ)
「パイパーは偶然、安全ボタンを押したままドアを閉めてしまった。ドアをあけ、同じことをもう一度、繰り返す。今度は、錠の爪が滑り込むときにボタンが上がるのが見えた。もう一度、試してみる。当然のことながら、ボタンは上に跳ね上がった。つまり、これは、室内でのみ利用される目的で作られた装置なのだ。さもなくば、部屋の主が締め出されてしまう危険性がある。」(196ページ)
この部分、謎解きのキーになる、寝室のドアの鍵をめぐる説明なのですが、よくわかりませんでした。
ドアが閉まっている状態のときのみ(錠の爪が動かない状態のときのみ)安全ボタンが動作するようになっているのでしょうね......最近はオートロックが多くてこういうの見かけない気がします。
実物が見てみたいですね。

<蛇足7>
「いいえ、ポーランド人ではありません、お客様。わたしはウクライナの出身です。」「ご存知のとおり、今ではロシアの一部になっています。だから、わたしはそこにいたくなかったのです。」(207ページ)
この時期にウクライナのことが出てくる本を読んでいるのは偶然なのですが、おやっと思いました。
本書の出版は1953年ですので、ここはロシアではなくソ連ではなかろうかと思います。ウクライナは、前のロシアの頃に併合(?)され、ソ連成立でソ連になっているはずですから。

<蛇足8>
「それは、ぼくと預金残高だけの秘密だな」(250ページ)
預金残高そのものが秘密というのではなく、預金残高がぼくと秘密を共有している、というのはおもしろい言い回しですね。日本語にはない言い方だと思います。


原題:Deadly Night-Cap
作者:Harry Carmaichael
刊行:1953年
訳者:板垣節子





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錆びた滑車 [日本の作家 若竹七海]


錆びた滑車 (文春文庫)

錆びた滑車 (文春文庫)

  • 作者: 七海, 若竹
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2018/08/03
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
女探偵・葉村晶は尾行していた老女・石和梅子と青沼ミツエの喧嘩に巻き込まれる。ミツエの持つ古い木造アパートに移り住むことになった晶に、交通事故で重傷を負い、記憶を失ったミツエの孫ヒロトは、なぜ自分がその場所にいたのか調べてほしいと依頼する──。大人気、タフで不運な女探偵・葉村晶シリーズ。


2023年7月に読んだ8作目(冊数だと9冊目)の本です。
若竹七海の「錆びた滑車」 (文春文庫)
2018年 週刊文春ミステリーベスト10 第6位
「このミステリーがすごい! 2019年版」第3位。

「静かな炎天」 (文春文庫)(感想ページはこちら)に続く葉村晶シリーズの長編です。

いつもながらの安定した若竹節を存分に楽しみました。
大団円を迎えてみると、非常にシンプルな事件だったことがわかります。
ところがプロットは入り組んだ非常に複雑なもの。
見事ですね。
登場人物の出し入れが絶大な効果を産み出しています。

そんななかちゃんと葉村晶は酷い目にあいます。
「飛べなくてもブタはブタだが、歩けない探偵は探偵ではいられない。」(237ページ)
こう感じながらも、満身創痍でも葉村晶は探偵をするのです。
そろそろ楽をさせてあげたらいいのに(笑)。

ハードボイルドの作品は、意外と(意外ではないのかもしれませんが)家庭の悲劇を描いたものが多いようにも思うのですが、この「錆びた滑車」 (文春文庫)でもさまざまな形の悲劇が提示されます。
そういった群れなす悲劇や捜査に当たる側の様々な思惑がプロットを複雑にしていきます。


タイトルの「錆びた滑車」は冒頭に掲げてあるサン=テグジュペリの「小さな王子さま」の引用から。

ぼくもまた星空をながめるんだ。
全部の星が錆びた滑車のついた井戸になるよ。
全部の星がぼくに飲み水をそそいでくれるに違いない……

本文中には出てこないので(読み落としでなければ)、解釈は読者に委ねられています。
事件に苦い決着がついたエンディングで、短期間とはいえ一緒に暮らしたミツエやヒロトを想いながら葉村晶は冬空を見上げて何を思うのか。
いつも以上につらい事件になってしまったような印象を受けました。




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モダンタイムス [日本の作家 伊坂幸太郎]


モダンタイムス(上) (講談社文庫)モダンタイムス(下) (講談社文庫)モダンタイムス(下) (講談社文庫)
  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2011/10/14
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
恐妻家のシステムエンジニア・渡辺拓海が請け負った仕事は、ある出会い系サイトの仕様変更だった。けれどもそのプログラムには不明な点が多く、発注元すら分からない。そんな中、プロジェクトメンバーの上司や同僚のもとを次々に不幸が襲う。彼らは皆、ある複数のキーワードを同時に検索していたのだった。<上巻>
5年前の惨事──播磨崎中学校銃乱射事件。奇跡の英雄・永嶋丈は、いまや国会議員として権力を手中にしていた。謎めいた検索ワードは、あの事件の真相を探れと仄めかしているのか? 追手はすぐそこまで……大きなシステムに覆われた社会で、幸せを掴むには──問いかけと愉(たの)しさの詰まった傑作エンターテイメント!<下巻>



2023年7月に読んだ7作目の本(冊数でいうと7冊目と8冊目)です。
伊坂幸太郎の「モダンタイムス」(上) (下) (講談社文庫)
上で引用した旧版で読みました。2023年2月に新装版が出ています。

モダンタイムス(上) 新装版 (講談社文庫)モダンタイムス(下) 新装版 (講談社文庫)モダンタイムス(下) 新装版 (講談社文庫)
  • 作者: 伊坂 幸太郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2023/02/15
  • メディア: 文庫


もともとは読了本落穂ひろいのつもりでした。
手元の記録では2016年5月に読んでいます。
でも上で引用したあらすじを読んでもまったくピンと来ない。本を手に取ってパラパラと読んでみてもまったくピンと来ない。
そこで、本腰を入れて読むことにしました。
読了しても、以前に読んだことをまったく思い出せませんでした......なんという記憶力のなさ。

伊坂幸太郎の本なのでいつものことで、とても面白いのです。
しかもこの作品で描き出されている世界観に共感することが非常に多く、これを忘れ去ってしまっているなんて自分が信じられないくらいです。
このブログにはアップしていませんが、手元の記録ではこの本を2016年に読んだ本のベスト10に入れているというのに......

タイトルの「モダンタイムス」というのは、チャップリンの映画から来ており、
「私の脳裏には、昔、祖父の家で見たとてつもなく古いサイレント映画、確か、『モダン・タイムス』というタイトルだったと思うが、その場面が映し出された。産業革命により、工場が機械化され、人間が翻弄される話だった。」(上巻277ページ)
として引用されます。
タイトルに採用されているだけに、本書の内容を象徴するようなものなのですが、機械化、システム化を念頭に置いたものです。

それと相前後して、ギュンター・アンダースがナチス・ドイツのアイヒマンの息子に送った書簡にも触れられます。
「アンダースの書簡に頻繁に出てくるのは、『怪物的なもの』と『機械化』だ」
「何百万にものユダヤ人を良心の痛みすら感じず、工場で商品を作るみたいに、次々と殺害したという事実、そのことを怪物的なものって言ったんだ。その怪物的なことがどうして実行可能だったのか、といえば、それは、世の中が機械化されているからだって話だ」(上巻277ページ)
「たくさんの部品を製造して、管理機構を作って、最大限の効率化をはかる。技術力、システム化が進む。すると、だ。分業化が進んで、一人の人間は今、目の前にあるその作業をこなすだけになる。当然、作業工程全体を見渡すことはできない。そうなるとどうなるか分かるか」
「つまり、想像力と知覚が奪われる。」(上巻278ページ)

これと密接に絡んでくるのが、国家、です。
「国家ってのは、国家自体が生き長らえることが唯一の目的なんだ。国民の暮らしを守るわけでも、福祉や年金管理のためでもない。国家が存在し続けるために、動く。」(上巻279ページ)
この国家観、個人的には非常にしっくり来ます。
国家という規模にまで至らなくとも、会社であっても、同様にまるで一個の意識体のように自らの存続を図っていくものだ、とは常々感じているからです。

主人公渡辺拓海の友人である小説家・井坂好太郎の小説「苺畑さようなら」の作中で語られる(アメリカのある研究家の言葉として出てきます)
「アリは賢くない。でも、アリのコロニーは賢いのよ」
というセリフ中のコロニーは、人間でいう国家に対応するものと考えることもできますが、アリが意識を持たないものであることを前提とすると、国家、というよりももっと漠としたシステムと捉えるべきなのかもしれません。
システムというと機械的なものを連想しがちですが、作中にも触れられていますが、もっと漠然とした ”仕組み” ですね。

国家とこの ”仕組み” が時に重なり、時にずれて立ち現れるのが人間社会、というように捉えました。
「システムは定期的に、人間の個人的な営みを、国家のために捧げるように、調節を行うんだ」
「指導者の登場はその一例だ。一人一人の自我が強くなり、自由が蔓延していけばいくほど、システムは機能しなくなるだから定期的に、個人よりも大きな仕組みがあることを、その存在感を主張しなくてっはいけない。国家は、国民に認識されるために、運動を続けるんだ。周期的に、自分の存在を強烈にアピールする」(下巻331ページ)

「『どうすることもできない』仕組みを、娯楽小説の形で表現できた」と文庫版あとがきで作者自身が書いているように、これこそが本書のテーマで、それが楽しい娯楽小説として提示されていることに非常にわくわくできます。
とても楽しい。

この物語のラストが気に入らない読者もいらっしゃることでしょう。
これでは解決策としては機能しないと思われるからです。
でもこの物語のラストは、こうでなければならない、と思います。安易な解決策はふさわしくない物語になっていると感じます。

それにしても、主人公渡辺拓海の妻とは何者なのでしょう?
そちらの方が気になったりして......

それにしても、こんなに面白い本を読んだことを忘れているなんて自分でも呆れるしかないですが、もの忘れがひどい自分に感謝することにしましょう。
なんといってもこれだけの傑作を、まっさらな気持ちで二度も楽しくことができたのですから。


<蛇足1>
「小説にとって大事な部分ってのは、映像化された瞬間にことごとく抜け落ちていくんだ」(上巻200ページ)
作中の作家・井坂好太郎のセリフです。
同じページで
「映画の上映時間を二時間とするだろ。その二時間に、一つの物語を収めようとする。そうするとどうするか」
「まとめるんだよ。話の核となる部分を抜き取って、贅肉をそぎ落とす。そうするしかないわけだ」「粗筋は残るが、基本的には、その小説の個性は消える」
とも言っています。

<蛇足2>
「いいか、小説ってのは、大勢の人間の背中をわーっと押して、動かすようなものじゃねえんだよ。音楽みてえに、集まったみんなを熱狂させてな、さてそら、みんなで何かをやろうぜ、なんてことはできねえんだ。役割が違う。小説はな、一人一人の人間の身体に沁みていくだけだ」
「沁みていく? 何がどこに」
「読んだ奴のどこか、だろ。じわっと沁みていくんだよ。人を動かすわけじゃない。ただ、沁みて、溶ける」(下巻193ページ)
こちらも井坂好太郎のセリフです。
「沁みて、溶ける」にグッときました。

<蛇足3>
「今やそのシステムが、特定の検索を行った人間を甚振るためにも利用されている。」(下巻338ページ)
「マリアビートル」 (角川文庫)(感想ページはこちら)にも同じことを書いたのですが、いたぶるって、こういう字を書くんですね。
どうも記憶に定着しないようですので、また同じことを伊坂幸太郎の本を読む際に思ってしまいそうです。





タグ:伊坂幸太郎
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バナナクリーム・パイが覚えていた [海外の作家 ジョアン・フルーク]


バナナクリーム・パイが覚えていた (mirabooks)

バナナクリーム・パイが覚えていた (mirabooks)

  • 出版社/メーカー: ハーパーコリンズ・ジャパン
  • 発売日: 2020/01/10
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
ゴージャスなハネムーンクルーズ中のハンナのもとに、末妹からのメッセージが届いた。母が下の階に住む元女優トリーの死体を発見したという。しかも、現場にはハンナの店〈クッキー・ジャー〉特製のバナナクリーム・パイが! 大急ぎでレイク・エデンに戻ったハンナは独自に事件の調査を開始するが……。ビターな殺人事件とスイートな新婚生活のゆくえはいかに!? お菓子探偵シリーズ再始動!


2023年7月に読んだ6冊目の本です。
ジョアン・フルークのお菓子探偵ハンナシリーズ第20弾。「バナナクリーム・パイが覚えていた」 (mirabooks)
シリーズ新刊が出た、という情報を入手して本屋さんに言ったのですが見つからず。大きな本屋さんを何軒も探したのに見つからず。
それもそのはず、出版社がこの「バナナクリーム・パイが覚えていた」から、ヴィレッジブックスからmirabooksへ変更になったのですね。
探す棚が違うのですから、見つかるはずもない......

冒頭ドロレスがいきなり倒れるシーンで、続いて死体を発見するという展開で驚きます。
ついにハンナだけでは飽き足らず、ドロレスまで死体を発見するようになったか(笑)。

なにしろ、ハンナたちの住むレイク・エデンは、のどかな田舎町のようでいて、
「もっと大きな街や都会ではそうだと思うけど、レイク・エデンではそんなに犯罪は起こらないわよ……」ハンナはそこで小さなため息をついた。「もちろん、殺人は別にしてね。」(53ページ)
と言われるくらいの殺人の宝庫ですから。

ミステリとしては正直ぐだぐだです。
探偵役のハンナが行き当たりばったりなのはいつものことですが、今回はバスコム町長が容疑者であっただけで真犯人だと決め打ちしようとするくらいですから。
「だれがシロなの?」
「バスコム町長よ。絶対クロだと思ったのに、トリーの殺害時刻にアリバイがあったの」(209ページ)
いくら町長が
「彼のトラブルのほとんどが……」「結婚していることを忘れるというトラブルだから」(201ページ)
というように(女性関係に)だらしないとはいえ、今回の被害者は実の姉でもありますし、少々かわいそうです。

真犯人の隠し方も、突然引っ張り出してきてこいつが犯人です、と言ったのに近い乱暴ぶり。
まあ、でも、いつもの面々と出会えたからそれでよし。
シリーズとして、エンディングが気になります。
どうした、ロス???


<蛇足1>
「今度はギャーギャーですか。ギャーギャー鳴くのはオウムです。」(70ページ)
オウムって、ギャーギャー鳴きましたっけ? 

<蛇足2>
「しかも、現場保存用のテープを元に戻しておくhど頭の切れるやつだ」(310ページ)
警察がはったテープを元に戻したくらいでは「頭の切れるやつ」とは到底いえないでしょう.......
だいじょうぶか、マイク。ぼんくらばかり相手にしていたら駄目だよ。

<蛇足3>
「ほんとうよ、ディア」
「でも……よく聞いて、ディア」
「あなたを愛しているわ、ディア。」
「何もないわ、ディア」(325~326ページ)
シリーズの読者であれば、ドロレスのセリフだと思われるかもしれませんが、これお芝居の中の母親役のセリフです。

<蛇足4>
「根管治療が二件に、歯冠の破損が一件、埋伏知歯一件のおかげで長い午後になったよ」(350ページ)
埋伏知歯ですか......調べたら一般的には埋伏智歯と書くようですね。要するに親知らずのことらしいです。



原題:Banana Cream Pie Murder
著者:Joanne Fluke
刊行:2017年
訳者:上條ひろみ




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映画:ジョン・ウィック:コンセクエンス [映画]

ジョン・ウィック コンセクエンス.jpg

映画「ジョン・ウィック:コンセクエンス」の感想です。
このシリーズ、いままで観たことがないです。
いきなり Chapter 4 から観るのか、という気もしましたが、10月1日は映画が安い日だったので観ることに。

シネマトゥデイから引用します。

---- 見どころ ----
キアヌ・リーヴス演じる伝説の殺し屋ジョン・ウィックの死闘を描くアクションシリーズの第4弾。裏社会のおきてを破ったことで粛清の対象になったジョンが、組織と決着をつけるべく動きだす。監督は前3作と同じくチャド・スタエルスキ。主演のキアヌ、ローレンス・フィッシュバーン、ランス・レディック、イアン・マクシェーンらおなじみのキャストに加え、『イップ・マン』シリーズなどのドニー・イェン、『IT/イット』シリーズなどのビル・スカルスガルド、真田広之、リナ・サワヤマらが新たに出演する。

---- あらすじ ----
伝説の殺し屋ジョン・ウィック(キアヌ・リーヴス)は、裏社会のおきてを破りながらも粛清の包囲網を生き延び、全てを支配する組織「主席連合」と決着をつけることを決意する。一方、組織内での勢力拡大をもくろむ高官グラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)は、裏社会の聖域だったニューヨークのコンチネンタルホテルを爆破。さらにジョンの旧友でもある盲目のケイン(ドニー・イェン)を抱き込み、ジョン狩りを始めようとしていた。


アクションにつぐアクションの連続で、まあ気前よく敵も味方も死んでいきます。
ただ一人、キアヌ・リーヴス演じるジョン・ウィックのみが生き残る。強い、強い。
アクションシーンはかくのごとくすごいのですが、これだけ連続して見せられるともういいかな、という気分に少しなりました。
また、個々の戦闘シーンで無駄な攻撃が多いように思えてしまいました──一気にとどめを刺すのではなく、余分に刀や銃を振るっているように見えました。そのせいで余計長く感じられます。

サクレクール寺院にいく前の階段(222段あるらしいですね)での戦闘シーンも、わんさか湧いて出る敵に絶望感を抱いてしかるべきところですが、ジョン・ウィックがあまりにも不死身なので(ここに来る前に凱旋門のところまでで何度車にはねられたことでしょう)、これを全部倒すんだなぁ、と思って観てしまいます。

そんななかでは、やはり犬。
このシリーズ、犬がポイントなのでしょうか? 
ネットでチラチラ見ると、シリーズには印象的に犬が出てきているようですね。
この「ジョン・ウィック:コンセクエンス」では少々怖い役どころ。ジョン・ウィックを狙う殺し屋が連れている犬という設定ですからね。

ところで、ドニー・イェン演じるケインは、実は目が(ある程度は)見えているという設定なのでしょうか? どう考えても目が見えているとしか思えないシーンがあちこちに。

シリーズを知らない人間にも、友情(と犬?)を大切にするジョン・ウィック像が伝わってきましたし、エンディングでその友人のひとりであるケインと敵味方に分かれて決闘しなければならない状況になったことを受けての結末がなかなか味わい深いように思えました。

ただ、どうしても気になったのが、その決闘シーンでのジョン・ウィックの動き。
ネタバレになるので色を変えておきます。
結局最後の回でジョン・ウィックは銃を撃たず、弾を残しておいて、真の敵であるグラモン侯爵がしゃしゃり出てきたのをその弾で撃ってめでたしめでたし、という決闘シーン。 その前にケインに急所を撃たれて死んでしまうという可能性は、相手の目が見えないので低く評価したのだとしても、グラモン侯爵があのような行動に出ることは予見できないでしょう? どうするつもりだったのでしょう? あのままだとケインを撃たないといけなくなります。 あえてグラモン侯爵を撃てば、決闘の流れからは外れてしまいます。 観ている途中、決闘といいつつケインとジョン・ウィック二人で(示し合わせたように)グラモン侯爵を撃ってしまうのかなと考えていました。決闘の立会人も、決闘としてはインチキになってしまうものの、実はグラモン侯爵の突出ぶりと野心をもともと警戒していた主席(の手のもの)として黙認(流れ弾と強引に解釈?)、という流れです。



製作年:2023年
製作国:アメリカ
原 題:JOHN WICK:CHAPTER4
監 督:チャド・スタエルスキ
時 間:169分





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2 Brothers [タイ・ドラマ]

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たまにはタイ・ドラマの感想も追加しておきましょう、ということで、「2 Brothers」。
珍しく(笑)、BLではありません。

いつもの MyDramaList によると、
2019年2月から5月にかけて GMM 25で放映されていたようです。
全12エピソード。

ポスターの右をご覧になるとおわかりいだけるように、これは「2 Moons」(感想ページはこちら)で主役 Wayo を演じた童顔の Bas が主役を務めます。役名は Tony。
主役はもう一人いまして、こちらはポスターの左、役名 Pete。「KISS」(感想ページはこちら)で主役Sanrak(サンラック)の相手役 Na (ナー)を務めた Tao。
このドラマは BL ではありませんので、Bas と Tao がカップルということではありません。

真ん中の女性は誰か、というと Kaopun という名前で、Pete の従姉妹にあたるようです。
Pete とお互い憎からず思っているのに、素直になれなくて......という王道の設定。
ね、BLじゃないでしょう?
(といいつつ、ストーリーを追っていなければ、Pete と Tony が怪しく見えなくもない、笑えるシーンもあったりします。偽とはいえ、兄弟ですから、それっぽいシーンを作るのはそれほど無理はないですからね)

Pete と Kaopun の祖母は、息子の嫁が気に入らず、息子が出ていってしまっていたのだけれど、歳をとって病気にもなり、息子のことが気にかかる。息子は特徴あるペンダント(と呼んでおきます)を持っていた。
愛する祖母のため、Pete が探索に乗り出す(Pete から見るとおじさんになりますね)。
探索の結果見つかったのが、Bas 演じる Tony。チェンマイに住む極貧の少年。例のペンダントを持っていたから。(インフルエンサーと思しき、Pete の妹 Pat がチェンマイを訪れた際、ちょっとした関わりを持つというサブ設定もあり、Pat は Tony に恋心を......)
だけど、Tony は別人で、幼い頃に友人 Phat (こちらが本物の孫ですね)からペンダントをもらった経緯。
でも、Pete たちは祖母を喜ばせ勇気づけるために、Tony に孫のふりをさせることを決める。

こういうなりすましって、ドラマや映画でよく見るのですが、実際にやっている例はあるのでしょうか? 
ミステリでも入れ替わりとかありますよね。でも、すぐにばれちゃうような気がします。
この「2 Brothers」では、会ったことのない孫ということでその点ごまかしやすくはなっているとは思うのですが、いろいろと越えるべき壁は多そうですし、ささいなきっかけで露見してしまうものではなかろうか、と思うのです。
周りの協力も不可欠で、どうやって味方につけていくのかも大きな課題です。

ドラマとしては、こう視聴者が思うのを逆手にとってハラハラさせるわけです。
何度も何度も押し寄せる危機を、Pete と Tony たちはどう切り抜けるのか。
とこういうあらすじだとサスペンスフルになるかと思われるかもしれませんが、このドラマは基本ラインはコメディなので、深刻にならずに見るのが吉です(ハラハラはしますけどね)。
跡目争い的な観点で言うと、対立候補となる従兄弟とその父がいるのですが、このおっさんはどう考えてもボンクラ(いや、まったく血がつながっているのが不思議なくらいのボンクラです)、お笑い要素を増加させてくれます。従兄弟の方は、節々にそんなに悪い奴じゃなさそう、という感じが漂ってくるのがミソ。 Kaopun のことを好きなようで、ちょっかいを出そうとしてははねつけられています。むしろこちらの方向の方が面倒くさいことを引き起こしそう。

一つこういう話で気になるのは、首尾よく成りすましおおせたとして、巨額の財産が絡みますから、仲違いとかの問題が発生しそうなものですが、そこはコメディなのでそういう心配も不要。
Tony が本気で乗っ取りを考えて、祖母が亡くなって正式に相続してしまったら、Pete たちは困ってしまいますよね。
そもそも Tony がいいやつだ、というのが最大のポイントですし、一族の面々もいずれも悪い人ではないのもポイント。

まあでも、いずれはバレてしまうもの。
祖母にバレてしまってからがこの種のドラマの真価なのかもしれません。
その意味では、シリアスなドラマではないので、大甘の着地に向けて進んでいくのは悪くないですよね。
楽しく観ました。



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からくり砂絵 あやかし砂絵 [日本の作家 た行]


からくり砂絵 あやかし砂絵 (光文社時代小説文庫)

からくり砂絵 あやかし砂絵 (光文社時代小説文庫)

  • 作者: 都筑 道夫
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2010/11/11
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
神田の貧乏長屋に巣食う、砂絵師のセンセーとおかしな仲間たちが、江戸市中で起きた怪事件の謎を解く人気の捕物帳シリーズ。「花見の仇討」「粗忽長屋」といった古典落語の推理小説化を試みた秀作を収めた『からくり砂絵』と、暗号解読、人間消失、動機探しなどの本格推理のエッセンスを満載した『あやかし砂絵』、シリーズ初期のトリッキーな傑作二冊を合本。


この「なめくじ長屋」シリーズは、都筑道夫の高名な捕物帳です。
このシリーズは大昔に角川文庫に収録されていたものを読んでいます。

前巻「ちみどろ砂絵 くらやみ砂絵」 (光文社時代小説文庫)(感想ページはこちら)の感想にも書いたのですが、「小梅富士」という作品を読み返したくなり、実家に戻ればどこかにあるものの探すのも面倒なので買ってしまえと前作を購入したところ、収録されていたのが実は今回の「からくり砂絵 あやかし砂絵」 (光文社時代小説文庫)だったという情けない次第で、せっかく買ったので「ちみどろ砂絵 くらやみ砂絵」 を読み返し(面白いことは保証付きですから)、本命の(?)「からくり砂絵 あやかし砂絵」も買ったものの、悪い癖で長期にわたる積読。
このたびようやく読みました。

「からくり砂絵」の方は
芝居のはずの仇討で本当に人が死んでしまう、第一席 花見の仇討
五人同時に首をつった死体が消え、翌朝再び枝から五人がぶらさがっていた、第二席 首つり五人男
座敷の中で富士に模した大きな庭石で圧殺された老人の謎、第三席 小梅富士
からくり人形に竹光で斬り殺される、第四席 血しぶき人形
水神の祟りで座敷が水浸しになり、続いて人まで死んでしまう、第五席 水幽霊
砂絵描きのセンセ―がゆきだおれたと言われ死体を見に現場に赴くセンセ―、第六席 粗忽長屋
死体が出没して悪さをしでかす、第七席 らくだの馬

「あやかし砂絵」は
張形をにぎって心中死していた妾。アラクマが犯人あつかいされてしまう、第一席 張形心中
夜鷹を狙った連続殺人、第二席 夜鷹殺し
女中が道を見張っていたのに滝不動からおかみさんが消えてしまう、第三席 不動の滝
雲母橋で死んだ男の首が白旗稲荷で見つかる、第四席 首提灯
屏風に描かれた虎に絵師が食い殺される、第五席 人食い屏風
屋根舟で漕ぎ出し気を失っている間に相手の女が殺されてしまう、第六席 寝小便小町
評判の美女を題材にした春本もどきの落とし文騒動、第七席 あぶな絵もどき
とそれぞれ7話収録です。


まず本命中の本命だった「小梅富士」です。
もう未読同然の状態で楽しみました。再読どころか、四度目か五度目だと思うのですが......
四人がかりでようやく運べるような巨石(岩?)に屋敷内で押しつぶされて死ぬ、という強烈な謎で、これが鮮やかに解かれるというのに、何度読んでもトリックとか忘れちゃうんですよね。あまりに合理的すぎて記憶に残らないのかしらん?
今回改めて感心できました。忘れやすい自らの頭に感謝(笑??)。

「からくり砂絵」には落語に題材を求めた作品がいくつかあるのですが、中ではやはり「粗忽長屋」でしょうか。
センセ―が死んでいるといわれ仲間に連れられ、下駄常とともに自分の死体を検分する砂絵描きのセンセ―という落語さながらの状況がおかしいですし、その後の流れが自然なのはさすがです。

「あやかし砂絵」の方は、少々艶めいた話が多い印象。なめくじ長屋にこういう話もあったんですね。
そのためか、トリッキーというよりは話の筋や組み立てで勝負している作品が多いようです。
なので、たとえば「不動の滝」の監視下での人間消失の絵解きも、ズルといえばズルなのですが、自然な仕上がりになっていて不満は感じません。それよりも消失の後の物語が印象に残ります。
「人食い屏風」もそうですね。絵に描いた虎が人を殺すなんてありえない話で、とするとどうしたって解決の道筋はある程度狭まってしまいます。それでもその道筋にならざるを得なかった背景が短い中にもしっかり書かれていて、かつ、物語の落としどころ(センセー含めなめくじ長屋の面々が首尾よく報酬を手に入れられるかも含め)が鮮やかに決まります。

この光文社文庫の版はこのあと買わないうちに品切れ状態になってしまっているようです。
実家に戻れば角川文庫版や旧光文社文庫版があるはずなので、折を見て読み返してみようと思いました。


<蛇足1>
「女の怨みを買うような浮いた話も、男の怨みを買うような沈んだ話も、なんにもなし。」(77ページ)
浮いた話、というはよく使いますが、沈んだ話というのは言わないですね。面白い言い回しです。

<蛇足2>
「近ぢか俳諧の宗匠として、立机(りっき)披露をしようとしている。」(100ページ)
俳諧の宗匠となることを、立机というのですね。

<蛇足3>
「佐兵衛はしっかりした男だから、もうすこし悪だと、店をふとらせ、自分もふとる算段でもして、かえっていいんでしょうが、まったく白鼠……」(100ページ)
佐兵衛は番頭さんです。
白鼠がわからず調べましたところ ”主家に忠実な番頭や雇人” という意味だそうです。

<蛇足4>
持っていた金をだましとられて、途方にくれていたところを、久右衛門に助けられたというこってすから、一所懸命つくすのも、不思議はねえかも知れませんがね。」(102ページ)
もはや駆逐されつくそうとしている「一所懸命」が使われていてほっとします。
一生懸命って、語呂はよくても意味がまったく通らないのですが、どうしてみなさん平気なのでしょうね?

<蛇足5>
「声がかれても、知りませんぜ。なにしろ、ひでえ円通寺ですからね。」(104ページ)
話す相手の耳が遠いことを受けてのセリフです。
円通寺? 
ネットで調べると古典落語から来ているようですね。「景清
落語の方は、耳ではなく目のようですが......

<蛇足6>
「まっさきに武士(りゃんこ)を見限ったのが、富田屋峯吉。」(141ページ)
武士のことを「りゃんこ」と言ったのですね。
両刀を腰に差しているところからあざけっていう語らしく、りゃんとも言ったそうです。

<蛇足7>
「街には日射病の妙薬、定斎屋が天びん棒をかついだ螺鈿の薬箪笥の鐶(わ)を、かったかった鳴らして、威勢よく歩いていた。」(144ページ)
この薬を飲むと夏負けしないという薬を売っている様子らしいです。定斎屋。夏の風物詩だったようですね。
桃山時代、大坂の薬種商村田定斎から名前が来ているとのこと。

<蛇足8>
「とにかく水死体(おどざ)になって、百本杭にひっかかっていやがった」(149ページ)
水死体に「おどざ」とルビが。おどざ? 
ちょっと考えてわかりました。水死体のことを「土左衛門(どざえもん)」と言いますが、そのどざに「お」がついているのですね。

<蛇足9>
「十九で嫁入りってえのは、評判の器量よしにしちゃあ、すこし遅いな。親が手放したがらなかったのかえ?」
「はなのうちは、聟とりをするつもりだったんだそうで──一人っ子でしたからね。」(176ページ)
はなのうち、が調べてもわからず、しばらく考えました。これ、最初のうち、という程度の意味ですね、きっと。
「最初(はな)から、お話ししますとね。」(355ページ)
と最初にはなとルビが振られている箇所もありますし。

<蛇足8>
「藤兵衛にかみさんに、お品に跡とり息子、家族はこの四ったりで、かかりうどなんぞはいないのかえ?」(177ページ)
かかりうどは、掛人あるいは懸人と書くようで、「他人の世話になって生活している人。 居候。 食客。」のことらしいです。

<蛇足9>
「一度にやろうとして、竜吐水をひっぱってきても、無理だろう。」(201ページ)
竜吐水というのは、火消しが使った道具らしいです。時代劇で観たことがあるような気がします。
竜吐水というネーミングがいいですね。

<蛇足10>
「大福餅のあばれ食いをしめえやしめえし、そういうときには、下戸の建ったる倉はなし、というんだあな」(216ページ)
「店の床几に腰かけて、あんころ餅のあばれ食いもできる気軽な店だ。」(282ページ)
あばれ食いというのは知らない語でしたが、暴れ食い、すなわち暴食ですね。

<蛇足11>
「なるほどな。この病いは、めずらしい。傷寒論なんぞには出ていないが、フンダリヤケッタリヤといって、蘭方の書物には、ちゃんと出ている。」(217ページ)
フンダリヤケッタリヤとはなんともいい加減なネーミングで笑ってしまいますが、傷寒論はれっきとした伝統中国医学の古典なんですね。

<蛇足12>
「ふるまいも大胆なら、口かずも多い床上手での。かわらけの女は色深いというが、ありゃあ、そうするように仕込まれたにちげえねえ」(226ページ)
かわらけというのは素焼きの杯のことを指すというのは知っていたのですが、毛のない女性のことを指すとは知りませんでした。

<蛇足13>
「丹波笹山六万石の大名の上屋敷で、高い塀が白じらとつづいている。」(288ページ)
丹波に続くは篠山だと思ったのですが、こちらの字は笹山。昔はこう書いたのでしょうか?

<蛇足14>
「いまの国電神田駅あたり、白壁町は下駄新道にすむ常五郎が、しばしば八辻が原へやってくるのは、砂絵を見るためではない。」(355ページ)
国電には注が必要な時代になっていますね。

<蛇足15>
「孤独松はあの通り、からす天狗がひと晩、腹くだしをしたあげくに、せんぶりを土瓶に二杯も飲んだ、という顔でしょう。」(474ページ)
いったいどんな顔だ(笑)。

<蛇足16>
「田村屋のいまわりの匂いは、だいぶ薄れたな」(478ページ)
いまわりがわからなかったのですが、居回りで、周りという意味なんですね。

<蛇足17>
「私生活に関するもので、春本もどきの文章もあれば、ちょぼくれや謎解きに仕立てたものもある。」(534ページ)
ちょぼくれがわかりませんでした。
Wikipediaによると「願人坊主など大道の雑芸人が、江戸の上野、筋違(すじかい)や両国などの広小路や橋のたもとなど殷賑な地で(幕末から明治にかけては簡易寄席とも言えるよしず張りの小屋「ヒラキ」で見られた)、木魚をたたき、舞ったり歌ったりする芸能である。」とのことです。



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キッド・ピストルズの妄想 [日本の作家 山口雅也]


キッド・ピストルズの妄想: パンク=マザーグースの事件簿 (光文社文庫)

キッド・ピストルズの妄想: パンク=マザーグースの事件簿 (光文社文庫)

  • 作者: 雅也, 山口
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2018/11/08
  • メディア: 文庫

<カバー裏あらすじ>
塔から飛び降りた学者の死体が屋上で発見された!? 北村薫氏絶賛の「神なき塔」をはじめ、ノアの箱舟を模した船での密室殺人「ノアの最後の航海」、貴族庭園の宝探しゲームが死体発見に発展する「永劫の庭」など、妄想と奇妙な論理に彩られた三編を収録。名探偵が実在するパラレル英国を舞台に、パンク刑事キッド・ピストルズの推理が冴える中編集が改訂新版で登場!


2023年7月に読んだ4冊目の本です。
「キッド・ピストルズの冒瀆」 (光文社文庫)
「キッド・ピストルズの妄想」 (光文社文庫)
「キッド・ピストルズの慢心」 (光文社文庫)
「キッド・ピストルズの醜態」 (光文社文庫)
「キッド・ピストルズの最低の帰還」 (光文社文庫)
と続いているシリーズの第二作。共通して「パンク=マザーグースの事件簿」という副題がついています。
前作「キッド・ピストルズの冒瀆」 (光文社文庫)(感想ページはこちら
に続き単行本が出版されたときに買って読んでいますが、改訂版で読んでみようと再読。

「序に代えて──パラレル英国概説」で舞台の説明があったあとに、
『神なき塔』
「ノアの最後の航海」
「永劫の庭」
の3編収録

通しタイトルが ”妄想”。この妄想という語は、作中に何度も出てきます。

「人はわけのわからない事件に出合うと、みな、狂人のやったことでしょう、で済ませてしまう。おいらが知りたいのはその先だ。狂気には狂気なりの筋の通った論理があるはずだ。これは犯人に限らんことだが、奇妙な現象を伴う事件には、必ずなんらかの形で、その事件に関わった者の<狂気の論理>──妄想が存在するはずなんだ。」(149ページ)
「真相を追及する側も、その途方もない妄想を共有する覚悟がなきゃならねえ。」(156ページ)

「人はみな、それぞれの世界、それぞれの現実に生きているからだ。」
「それぞれの世界はそれぞれの神が支配している。そして、その神に盲従する者を妄想家と呼ぶ。シドニーが言うように、俺たちは、死んだ二人が住んでいた世界──妄想に世界に目を向けなけりゃあ、事件に関わる動機を掴むことはできない。」

「人の奇矯な行動の裏には、必ずなんらかの理由が潜んでいる。その理由というのは、時に他人には理解しがたい妄想と映るかもしれないが、その人にとっては立派な独自の哲学になっている場合もある。世界は客観的に一つ存在するだけじゃないんだ。それぞれの人間がそれぞれの世界を抱えて生きているだ。だから、人の行動の謎を解くには、その人の世界──時には妄想さえも──を共有することからはじめなきゃあならないんだ」(444ページ)

3編いずれも、不可能犯罪、あるいは不可思議な現象が起こり、その謎を解く物語になっているのですが、その怪現象を裏打ちするのは犯人の奇矯な論理=”妄想”。
そして、その ”妄想” を名探偵(=キッド・ピストルズ)が共有することによって、謎が解かれる。
名探偵の推理すら ”妄想” たらしめるために、周到にマザー・グースやアリスなどの意匠が配置されている印象を受けました。

犯人の論理は非常に独特なもので、普通に語ってしまったのでは、到底読者の理解を得られない。なんとか理解できたとしても、到底共感は得られない。
言い換えれば、通常の作品世界では成立しないミステリ世界ということになります。
それを(物語としての)説得力をもって読者に届けるために、犯人の ”妄想” に共鳴する名探偵の ”妄想” が導入され、それを支えるために、舞台となるパラレル英国とモチーフとなるマザー・グースが導入されている。
これを凝りすぎと呼ばずして、何と呼びましょう。
前作の感想の繰り返しになりますが、ミステリで凝りすぎというのは欠点ではなく美点。
とても楽しいシリーズです。


<蛇足1>
「すでに太陽が傾き、茜色に染まった空と鳩羽鼠色(ダウグレイ)の雲が幾重もの諧調を見せながら斑に交じり合う夕暮れ時。」(62ページ)
鳩羽鼠色のルビは、おそらくダヴグレイのタイポかと思われます。

<蛇足2>
「保党の経済政策からシーク教徒の特別な武具に至るまで、自在に語るコメンテーターとして、つとにマスコミには人気のある人物だったのである。」(203ページ)
ヘンリー・ブル博士の説明ですが、ここは保守党のタイポでしょうか?

<蛇足3>
「あの牙、唇を突き抜けて、怪我でもしてんの?」
「いや、ああいうものなのです」「バビルサ。偶蹄目イノシシ科、セレベス島に分布する珍種です。」(215ページ。セリフ部分のみ抜き書き)
バビルサって、昔聞いたことがある気がするのですが、すっかり忘れていました。思い出させてくれました。それにしても
「バビルサが……あたしに怯えていた」(242ページ)
とピンクが言うセリフがあるのですが、バビルサを怯えさせるピンク......(笑)。

<蛇足4>
「オランウータンが密室殺人だって? なんか……どこかで聞いたような話だが、あんたの口から改めてきくと、ほんとに、馬鹿ばかしいな……」(278ページ)
どこかで聞いたもなにも......偉大なる先達の作品ですよ(笑)。

<蛇足5>
「またぞろ密室なんてものにこだわり過ぎるからいけないんだ。ここまでくると妄想だぜ」(279ページ)
”妄想”が本書のキーワードですが、密室にこだわってしまう読者として反省いたしました(笑)。


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